雑音じゃなかった 1/fゆらぎ
〜扇風機で聞いた“1/fゆらぎ”って、こういうことか〜
最近、朝の散歩が日課になっている。
田んぼ道を歩いていると、小さな川の流れが耳に入ってくる。
ふとした瞬間、「あれ、この音…雑音じゃないな」と思った。
ただ流れているだけの川の水。
でも、その音はどこか心地よくて、耳に残らない。
うるさくない、むしろ落ち着く——そんな音だった。
昔の山登りの記憶がよみがえる
川のせせらぎを聞いていたら、昔のことを思い出した。
まだ膝や腰に不安がなかったころ、よく近くの1000メートル級の山に登った。
同じ班の男女で、にぎやかに、でもときに黙々と山道を歩いたあの日々。
頂上に近づくころ、風が木々を揺らし、葉の間を抜けてくる。
その風は、下界では味わえない、涼しくて、やさしくて、心まで浄化されるような感覚だった。
あのとき感じた「自然と一体になるような心地よさ」こそ、まさに1/fゆらぎだったのかもしれない。
そういえば昔、扇風機にも「ゆらぎモード」ってあった
記憶がふとよみがえる。
昔、あるメーカーの扇風機に「1/fゆらぎモード」というボタンがついていた。
自然の風に近い感覚を再現する…と書かれていたが、そのときは「へぇ〜」くらいで終わっていた。
でも、今日の散歩で川の音を聞いていたとき、「あれがそういうことか」と腑に落ちた気がした。
1/fゆらぎ——自然がつくる“心地よさの正体”
「1/fゆらぎ(エフぶんのいちゆらぎ)」とは、
規則的すぎず、不規則すぎない、ちょうどいい“ゆらぎ”のリズムのこと。
自然界には、このリズムが満ちている。
川のせせらぎ、風に揺れる木の葉の音、波の音、虫の声…。
どれも同じように、心地よく、邪魔に感じない。
そして、人間の心拍や呼吸のリズムもまた、この「1/fゆらぎ」に近いのだという。
雑音じゃない音には、意味がないから落ち着く?
都会の騒音、テレビの音、人の話し声。
これらは「意味を持った音」として、脳が処理しようとする。
だから疲れるし、うるさく感じる。
一方で、川の流れや風の音は「意味を持たない」音。
脳がリラックスモードに入りやすい。
これが、自然の音が「心地よく聞こえる理由」なのかもしれない。
自然の中でしか感じられない“静けさ”
「静か」とは、音がないことではない。
自然の音に包まれて、心がザワつかないこと。
川の音に耳を傾けながら、そんなことを思った。
“本当の静けさ”は、こういう時間のことを言うんじゃないか。
おわりに
テクノロジーが進んで、音楽も映像も高機能になった時代。
でも、ふとした散歩のなかで感じる、川や風の音に勝るものはなかなかない。
「1/fゆらぎ」なんて難しく考えず、
自然の音をただ“心地よいな”と感じる時間を、大切にしていきたい。
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