テレビを見ていて「なんだか変だな」「モヤっとするな」と感じることがある。
でもその理由をうまく言葉にできないことって、ありませんか?
最近、朝ドラ『あんぱん』を見ていて、まさにそんな経験をしました。
「愛國の鏡」と讃えたくせに
ヒロイン・朝田のぶが新聞社を受けるシーン。
彼女はかつて同じ新聞に「愛國の鏡」と紹介され、持ち上げられた過去があります。
ところが、その新聞社の面接で、「あなたの思想は変わっていないんじゃないか?」と詰問されるのです。
見ていて、正直、強い違和感を覚えました。
同じ新聞が手のひらを返している。
讃えた過去はなかったことにして、今度は個人に責任を押しつける。
なのにその場で私は、うまく言葉にできなかった。
違和感は、思考の出発点だった
あとから冷静に考えてみて、こう思いました。
「違和感」は、思考の“種”だ。
むしろ違和感を感じたこと自体に意味がある。
でもそれを**「なにが」「なぜ」おかしいのか**まで言語化できないと、ただのモヤモヤで終わってしまう。
違和感を感じたら、こう考えてみようと思う
「違和感を感じたのに、うまく言葉にできなかった」
あの経験から、これから自分なりに思考の練習をしてみようと思いました。
たとえば、こんなやり方なら無理なく始められそうです。
1. モヤっとしたらメモしておく
スマホでも紙でもOK。「なんか変だな」と思ったことを、とにかく記録。
2. なぜそう感じたのか、3回「なぜ?」で掘り下げてみる
- なぜ違和感を覚えた? → 手のひら返しを感じた
- なぜそれが嫌だった? → 自分もそうされたら辛いから
- なぜそれが大事? → 組織が個人を利用してる構図が許せなかった
3. 最後に一言でまとめてみる
→ 「組織の都合で持ち上げたり切り捨てたりするのはズルいと思った」
こうやって、自分の気持ちを少しずつ言葉にしていけたらと思っています。
定年後にも必要な「考える筋肉」
今は仕事を離れて、誰かと議論することも減ってきました。
でも、思考する力はやっぱり必要です。
・ニュースを見るとき
・人と会話するとき
・自分の生き方をふと考えるとき
「なぜそう思ったのか」を丁寧にたどるクセが、思考を深くし、
何より**“自分らしい言葉”**を持てるようになります。
違和感に、名前をつけてみよう
人と意見が違ってもいい。
言葉に詰まってもいい。
でも、自分が「変だな」と思ったその感覚は、大事にしたい。
違和感は、誰かに流されずに、自分で考え始めるきっかけになります。
私はこれから、「違和感に名前をつける練習」を少しずつやってみようと思います。
それがきっと、定年後の時間を、より豊かにしてくれる気がするから。
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