──60代になって見えてきた「欲しい」と「必要」の境界
若い頃、私は「欲しい」と思ったら、あまり深く考えずに動くことが多かった。
だが60代になった今、同じ言葉でも、その意味はずいぶん変わったように思う。
「欲しい」と「必要」は、似ているようで違う。
そしてこの違いが、人生の選択を静かに分けてきた。
欲しいと思った瞬間は、本物だった
私はもともと物欲が強いほうではない。
それでも、「いいかもしれない」と思う瞬間は何度もあった。
買ったものもある。
始めたこともある。
その瞬間の気持ちは、どれも本物だった。
だが、時間が経つと不思議なことが起きる。
残るものと、消えていくものがはっきり分かれるのだ。
消えていったもの
使わなくなった道具。
続かなかった挑戦。
変わりたいと思って始めた通信教育。
「これなら続くかもしれない」と思った道具。
どれも、その時は確かに必要だと感じていた。
けれど、静かに消えていった。
残ったもの
一方で、残ったものもある。
毎日使うもの。
自然に続いたこと。
生活の中に溶け込んだもの。
それらには共通点があった。
**「使い続ける理由があった」**ということだ。
人は「変わりたい」と思って買う
振り返ってみると、私は何度も思ってきた。
「これで変われるかもしれない」
けれど本当に残ったのは、
変わりたい気持ちではなく、続けられたものだけだった。
欲しいものとは何か
欲しいと思った瞬間は、本物だった。
だが、時間が過ぎて残らなかったものは、
私にとって本当に必要なものではなかった。
欲しいものとは、
時間が経っても手元に残り続けるものなのかもしれない。
60代で気づいたこと
年齢を重ねると、持てる量より、残るものが見えてくる。
増やすより、選ぶ。
手に入れるより、手元に残るものを大切にする。
それだけで、暮らしは軽くなる。
おわりに
欲しいものがあることは、悪いことではない。
だが、それが本当に自分に残るものかどうかは、時間だけが教えてくれる。
だから私は、今日も少しだけ立ち止まって考える。
「これは本当に欲しいのか」

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