「共感してあげて」と言われても──今の自分にはそんな余裕がない。


■ 本文


「共感」って、そんなに大事?

「子どもの気持ちに寄り添ってあげてください」
「まず“共感”から始めましょう」
「戦わないコミュニケーションが大切です」

最近、こういった言葉をよく目にする。
山崎洋実さん、通称“ひろっしゅコーチ”の講座でも、
「ガミガミ言ってしまっても、最後に“あなたにはいいところがあるよ”と伝えてあげればいい」
という言葉が紹介されていた。

たしかに、心にしみる言葉だ。
でも……それができる“余裕”が、今の自分にはない。


わかってはいる。でも、できない

子どもが学校から帰ってきて、ドアをガチャンと強く閉める。
イライラした様子で、こっちの顔も見ずに部屋へ入っていく。

そんなとき、
「先生に叱られたのか?」と、つい口に出してしまう。

ここで、「気持ちを代弁してあげればいい」とか
「まずは共感してあげましょう」と言われても、
実際のところ、気持ちがついていかない。

正直、しんどい。
自分だって、仕事や家事で余裕があるわけじゃない。
常に子どもの感情までくみ取ってあげるなんて、現実にはなかなか難しい。


自分が子どもだった頃、そんな大人はいなかった

よく思い出す。
自分が子どもだった頃、共感してくれる大人なんて、身近にいたかな?
先生に怒られて、家で八つ当たりして、
それをさらに親に怒られて――
「なんで怒られたの?」「お前が悪いんでしょ」と言われるのがオチだった。

共感なんて言葉、聞いたこともなかった。
でも、それが“普通”だった。


否定したいわけじゃない。ただ、遠く感じる

誤解されたくないのは、
私は山崎洋実さんの考え方を否定したいわけではない、ということ。

「共感の大切さ」も、「戦わないコミュニケーション」も、
たしかに素晴らしいと思うし、それで救われた人がいるのも知っている。

ただ、今の自分には、それがどうしても遠く感じてしまう。
「いい話だな」とは思うけれど、
「じゃあ今日からやってみよう」とは、正直思えない。
思いたいけど、思えない。
それが、本音だ。


「理想の親」より、「正直な親」でありたい

でも――
ちょっとだけ思うことがある。

「先生に怒られたの? …悔しかった?」
たったこれだけでも、
言われた子どもは、ほんの少し安心するかもしれない。

たとえ「うん」しか返ってこなかったとしても。
たとえ、その返事がそっけなくても。

共感しようとして、できないことは、悪いことじゃない。
共感できないと感じる自分を、責める必要もない。

完璧じゃない親でもいい。
まずは、「今の自分には余裕がない」と認めることから、始めていいんじゃないだろうか。

世の中には、いろんな子どもがいて、いろんな親がいる。
子どもの感情をくみ取るのが得意な親もいれば、
不器用で、言葉にするのが苦手な親もいる。

私は、後者だ。
でも、「子どもとちゃんと向き合いたい」と思っていることだけは、
心のどこかにちゃんとある。


おわりに

「共感してあげて」と言われても、うまくできない自分がいる。
でも、誰かの理想に無理に合わせなくても、
子どもとの関係は少しずつ育っていくはずだ。

今の自分にできる範囲で、少しだけ気持ちを向ける。
それくらいがちょうどいいのかもしれない。

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