『頑張れ』『根性』『一生懸命』に、なんだか違和感。そんな自分を責めなくていい


はじめに:昔は気にならなかった言葉に、今なぜか抵抗感

最近、「頑張れ」「根性」「一生懸命」といった言葉に、
なぜだかモヤっとするようになった。
昔は当たり前のように使っていたし、信じていたはずなのに。


「もう頑張ってるよ」って、心の中でつぶやいてしまう

「頑張れ」と言われると、
「いや、もう十分頑張ってるんだけど…」と返したくなる。
「根性出せ」と言われても、「そんなに絞り出す根性、もうないよ」と思う。

それが甘えなんだろうか?
それとも、何かが変わったんだろうか?


過去にも「頑張らない」って書いた。でも今回はちょっと違う

以前のブログでも「頑張らないでいい」という話をしたことがある。
でも今回は、「言葉そのもの」に引っかかっている感覚だ。

「大丈夫、君ならできるよ」
「いつも味方だよ」
──こうした優しい言葉でさえ、妙にしんどく感じることがある。


心が求めているのは、「無理しなくていい」というサインかも

よく考えてみると、これは心の防衛反応なのかもしれない。

もう無理したくない。
自分を追い込むような言葉から、ちょっと距離をとりたい。
そういう静かな叫びが、自分の中にあるのかもしれない。


昔は根性でなんとかなった。でも今は違う

若い頃は、根性で乗り切れた。
多少の無理も、勢いでどうにかなった。
でも今は──体も心も、無理をしない生き方を求めている。

「一生懸命」という言葉が、
重たく感じるようになったのも、自然なことなのかもしれない。


言葉に違和感を持てるのは、いい変化

むしろ、言葉に違和感を覚えるようになったのは、
生き方の変化に気づいた証拠なんじゃないかと思う。

頑張らないときがあってもいい。
根性を出さない日があってもいい。
一生懸命じゃない自分を、責めなくていい。


おわりに:今日はがんばらない。それでいい。

「今日はがんばらない」
「今は休んでいい」
「根性より、笑顔がほしい」

そう思えるようになった自分を、大切にしたい。

それは、怠けでも逃げでもない。
これまで頑張ってきた人にしか、わからない感覚だと思うから。

それでも時々、自分には言ってみる。
「もうちょっとだけ、頑張ってみようか」って。

誰かに押しつけることはしない
でも、自分の中でそっと、火を灯すように。

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