最近、ドラマをきっかけに「辞書」というものを思い出した。
スマホ検索が当たり前の今、辞書を引くことはほとんどなくなった。
でも、子どもの頃は違った。
分からない言葉を調べるために開いたはずなのに、
気づけば隣の言葉、そのまた隣の言葉へと目が移っていく。
目的とは関係ないのに、なぜか面白くてやめられなかった。
辞書は、調べる道具というより、寄り道する本だった。
ふと思い出す。
雨上がりの道。
くぼみにたまった水。
長靴で水をかき回して遊んでいたあの時間。
何が面白いのかと聞かれても、うまく説明できなかった。
でも、夢中だった。確かに楽しかった。
母に「なにやってるの、行くよ」と呼ばれても、
もう少しだけ、と続けていたあの感覚。
今思えば、あれは「意味のない時間」だった。
役に立つわけでもない。何かを得るわけでもない。
でも、心は動いていた。
辞書をめくって隣の言葉に出会う感覚も、
あの水たまりと、どこか似ている。
予定外。
無駄に見える。
でも、なぜか面白い。
大人になると、つい「役に立つかどうか」で物事を見てしまう。
効率、意味、結果――そればかり考える。
でも、本当に心が動くのは、
こういう寄り道の中なのかもしれない。
辞書の隣の言葉。
雨上がりの水たまり。
あの頃の自分は、理由なんて考えず、ただ楽しんでいた。
たまには、意味を探さない時間も悪くない。
心が動く感覚だけを、大切にしてみたいと思う。

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