はじめに
ここ最近、集中する時間が増えてきました。特にブログを書いているときに感じるのは、ふと気づけば周囲の音が消え、没頭している自分がいることです。時間を忘れ、頭の中が文章に向かって一つにまとまる。その瞬間は、若い頃に少しかじった瞑想の真似事で味わった静けさに似ていると気づきました。
集中すると音が消える現象
人間は深く集中すると、耳には音が届いていても脳が処理を抑え、意識に上がらなくなることがあります。これは心理学で「フロー」と呼ばれる状態です。スポーツ選手が「観客の声が聞こえなかった」と語るのも同じ仕組みです。
また、禅や瞑想の世界でも「呼吸や一点への集中を続けると、雑音や雑念が自然と消えていく」と説明されることがあります。仕組みは異なっても、「一点に没頭すると外界が薄れる」という点では共通しているのです。
ブログ執筆と壁打ちで生まれる集中
定年後に始めたブログは、思いがけず集中のきっかけになりました。記事のテーマを練り、タイトルを試行錯誤し、AIと壁打ちする。やり取りを繰り返しているうちに自然と集中が深まり、気づけば何時間も経っていることもあります。
一人で考えるより、相手と会話することで余計な思考が削ぎ落とされ、意識が一点にまとまる。この「壁打ち執筆法」は、集中を呼び込む強力な方法になっています。
ジャーナリングとの共通点
以前に取り上げたジャーナリングも、集中と心の整理を促す習慣です。自分の考えを紙や画面に書き出すことで、心のもやもやが整理され、気持ちが落ち着いていく。没頭の感覚が訪れるのは、ブログ執筆と似ています。
違うのは目的です。ジャーナリングは「完全に自分のため」に書くものですが、私のブログは「自分に言い聞かせるためでもある」と同時に、「誰かに伝われば」という思いも込めています。方向性は少し異なりますが、どちらも「書く」という行為を通じて心の安定と集中をもたらす点は共通しています。
歩く習慣と書く習慣の相乗効果
私は散歩を日課にしています。歩くことで体がほぐれ、気分が整う。その後にブログを書くと、不思議とスッと集中に入れることが多くなりました。
歩くことが体の安定を、書くことが心の安定をもたらしているのかもしれません。この二つの習慣が揃うことで、日々の生活にリズムが生まれ、集中が自然に訪れるようになったと感じています。
おわりに
集中の頻度が増えたのは、年齢や経験の積み重ねだけではなく、歩く習慣と書く習慣が根づいたからだと思います。フロー体験や禅の境地に通じるような没頭は、特別な修行をしなくても、日常の中で自然に味わえる。
定年後の生活に「歩く」と「書く」を取り入れることは、心身のバランスを整え、豊かさを育むシンプルで確かな方法だと実感しています。
以前にジャーナリングの事を書いたブログも、参照してください。
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