「タモリが嫌いって言ったから、自分も嫌いになってた。でも、それって違うよね。」

学び

若いころ、タモリさんが「あの歌手は嫌いだ」と言っていたのをテレビで聞いた。
そのとき、なんとなく「そうか、あの人の歌い方はよくないのか」と思った。
別に自分が聴いて嫌だったわけでもないのに、「タモリがそう言うなら、たぶん良くないんだろう」と感じていた。
今思えば、完全に“他人の好み”に乗っかっていた。

その歌手は、小田和正さん。
フォークソングや高音の透き通る歌声。
今ならわかる、あれはあれで“すごくいい”。
でも昔の自分は、「暗い」とか「クサい」とか、そういう先入観を持ってしまっていた。


「タモリが絶対」みたいになってた

タモリさんのことは、今でも好きだ。
独特の視点でモノを見る感じや、知識の深さ、ユーモア。
若いころは特に、「タモリ=センスの塊」みたいに思っていた。
だからこそ、「タモリが嫌いって言うなら、たぶん俺も嫌うべきなんだ」と、無意識に思っていたのだと思う。

でも、あるときふと気づいた。

「あれ? 俺、小田和正、別に嫌いじゃないぞ」

たまたま耳にした曲が、すごく心に響いた。
メロディも、歌詞も、歌声も、全部よかった。
その瞬間、「あの“嫌い”って気持ち、本当に自分の気持ちだったのか?」と疑った。


好き嫌いは、自分で決めていい

この経験で学んだことがある。
人の意見って、思っている以上に自分に入り込んでくる。
しかもそれが、好きな人・信じてる人の意見なら、なおさらだ。

でも、それって危ない。

好き嫌いは、本来“自分の感覚”で決めるもの。
誰かが「いい」と言ったから好きになるのもいい。
でも、「嫌い」って言われて、自分の“好き”まで失ってしまうのは、もったいない。


いま聴く小田和正は、心にしみる

あれから、あえて小田和正さんの曲をいろいろ聴いてみた。
「ラブ・ストーリーは突然に」とか、「言葉にできない」とか。
どれも、年齢を重ねた今の自分の心に、スッと入り込んできた。

昔はわからなかった“良さ”が、今ならわかる。
そして思う。

「これは俺の“好み”だ」

そう、自分の“好み”は、自分で決めていい。
誰がなんと言おうと、それでいい。
その自由を、忘れないでいたい。


おわりに

人は、つい誰かの意見に引っ張られる。
でも、それに気づけたらラッキーだ。
自分の“好き”を取り戻せたら、それはちょっとした成長かもしれない。

音楽だけじゃなく、本も映画も、食べ物も、人生の選択も。
最終的には「自分の感覚を信じること」が、いちばん大切だと思う。

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