〜「弁当の日」と廣津留母の教えに学ぶ〜
親になって初めてわかる、親の気持ちというものがあります。
今だからこそ見えてきた、「自分で考え、行動できる人に育てる」という教えの本当の意味。
廣津留真理さんや竹下和男さんの実践を通じて、定年後の今、自分にもできることを見つめ直してみました。
■ 親になって、ようやくわかった親の気持ち
「子どもができて、親になって初めて親の気持ちがわかる」。
そんな言葉を、私も身をもって感じるようになりました。
子どもの頃、何度か叱られた記憶があります。
「なんでこんなことで怒られるんだろう?」と不満に思ったこともありましたが、今になって思えば、
それは親だからこそ言わなければならなかったことだったのでしょう。
他人は言ってくれない。だから親が伝える——それが親の覚悟だったのだと思います。
■ 「自分で考えて動ける人」に育てるということ
廣津留すみれさん(プロ、バイオリニスト)という、ハーバード大学に進学された女性のことをご存じでしょうか。
彼女の母親である廣津留真理さんは、娘に一度も「勉強しなさい」と言わなかったそうです。
代わりに、自分が本を読む姿を見せたり、興味のありそうな本をさりげなく家に置いたり。
「勉強させる」のではなく、「自分で学びたくなるような環境」を整えていたのです。
この話に触れたとき、私は強く共感しました。
自立した人間に育てるというのは、「教え込むこと」ではなく「考えさせること」なんだ、と。
■ 「弁当の日」は、生活を通じた学びの宝庫
もうひとつ、心に残っているのが「弁当の日」の取り組みです。
これは竹下和男さんという元中学校長の方が提唱した教育活動で、子どもが自分の弁当を自分で作る日を設けるというものです。
献立を考え、買い物をして、調理し、片づけまで自分で行う。
最初は不器用でも、やっていくうちに子どもは工夫し、失敗から学び、自分で考えるようになります。
しかも面白いのは、弁当を通じた“学び合い”が自然に起きていること。
学校では、友達同士で「それどうやって作ったの?」「中身見せて!」と“のぞき見”し合ったり、
「もっと簡単にできる方法あるよ」と意見交換をしたり。
お手本(模範)があって、まねっこ(模倣)する友達同士
料理を通じて、思いやりや創意工夫、観察力まで養われているのです。
■ 「ひとりでもさみしくない人間に」というメッセージ
廣津留真理さんや竹下和男さんが共通して伝えているのは、
「自分で考えて行動できる人間になってほしい」という願い。
それはつまり、ひとりでもさみしくない、自立した人になることを意味しているのだと、私は感じました。
大人になると、つい子どもに「こうしなさい」と口を出しがちです。
でも、本当に大切なのは「見守ること」「自分でやらせてみること」。
親が自立して生きる姿を見せることこそが、子どもへの最高の教育なのかもしれません。
■ 定年後の今、自分に問いたいこと
私は今、定年を迎え、人生を振り返る時間が増えました。
これまでの子育てを思い出しながら、ふと気づいたのです。
子どもに「自分で考えろ」と言っていたつもりが、実は自分自身が一番学ばされていたのではないかと。
定年後の今、自分の弁当を自分で作るような暮らし方が、人生を豊かにしてくれる気がしています。
「自立すること」「人と関わること」「工夫して生きること」——
それは何歳になっても育て続けられる“生きる力”だと思います。
■ それでも、俺にこう問いかけてくる“もう一人の自分”がいる
「お前さ、えらそうにブログ書いてるけど、カッコつけてんじゃねーの?」
「お前、自立してるって言えるのか?ほんとに“ひとりでもさみしくない人間”なのか?」
ふとしたとき、そんな声が自分の中から聞こえてくることがあります。
図星です。ドキッとします。
正直に言えば、まだ自信なんてないし、何かを「達成した」と言えるほどの人間でもない。
だけど、だからこそ書いてるんです。
考えながら動いてみる。失敗して、またやり直す。
誰にも見られないような静かな挑戦を、少しずつ重ねている。
そうして、ほんの少しでも「ひとりでもさみしくない人間」に近づいていきたいと願っています。
カッコつけてる自分も、正直に迷ってる自分も、どちらも“今の自分”。
だから、今日もこのブログを書きます。
読んでくれる誰かと、そんな気持ちを少しでも共有できたら、それだけで充分です。
コメント