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◆はじめに
「自分は正しいはずなのに、なぜ通じないのか?」
そんな思いを、誰もが一度は経験しているのではないでしょうか。
たとえば、家族との会話の中で、友人との意見交換の中で、職場の人間関係の中で。自分の信じることが、まったく相手に受け入れられず、戸惑ったり、腹が立ったり、寂しくなったりする——そんな瞬間があります。
でも、それはある意味、自然なことなのかもしれません。
なぜなら、「正義は人の数だけある」からです。
◆正義がぶつかるのはなぜか
人は皆、育った環境も経験も考え方も違います。その中で培われた「自分なりの正義」があります。
たとえば、ある人にとっては「ルールを守ること」が正義でも、別の人にとっては「状況に応じて融通を利かせること」が正義かもしれません。
あるいは、「助け合いこそ人間のあるべき姿だ」と考える人もいれば、「人に頼らず自立すべきだ」と考える人もいる。
背景が違えば、正義も違って当然なのです。
信頼し合っている親と子ですら、意見が食い違うことがあります。 だとすれば、他人とぶつかるのは当たり前のことです。 ましてや文化の違う外国人同士となれば、なおさら。 そしてそれが「国と国」になると、ほとんど価値観が一致しない。 世界中で争いや誤解が起こるのは、正義や常識が「世界共通ではない」からなのです。
◆家族でもすれ違う「正義感」
私の体験をひとつ紹介します。
昔、家族とある事柄で意見がぶつかったことがありました。私は「こうするのが筋だ」と思って話しましたが、相手は「そんな理屈より、気持ちの方が大事だ」と反発。
血のつながった相手でも、正義の基準は違うのだと痛感しました。
そのときから、私は「自分の正しさを相手にわからせようとすること」よりも、「なぜその人はそう考えるのか?」を理解しようとする姿勢を意識するようになりました。
◆正しさを手放すことで、見えてくるもの
正義を主張しすぎると、対立が生まれます。たとえそれが正論であっても、相手にとっては「押しつけ」に感じることもあるのです。
正義を主張するのではなく、理解し合うことを目指す。
この姿勢があれば、たとえ意見が一致しなくても、争いにならずに済むことが多くなります。
◆まとめ:正義は伝えるものではなく、共に考えるもの
正義は主観的なもの。だからこそ、「自分の正義」が通じなくても落ち込む必要はありません。
大切なのは、自分の正義を大切にしながらも、他人の正義にも耳を傾けること。
「違っていて当たり前」という前提で人と向き合うと、心がとても軽くなります。
今日も、誰かと意見が合わなくても、それは「違う正義があるだけ」と思えば、少しだけ優しくなれるかもしれません。
そして、この文章を書きながら、私自身にも言い聞かせています。つい自分の正しさを押しつけたくなるけれど、少し立ち止まって、違いを受け入れる余裕を持ちたい——そんな気持ちでいます。
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