何も聞いちゃいけない職場で、人は仲良くなれるのか

価値観
何も聞いちゃいけない職場で、人は仲良くなれるのか

「ハラスメント」という言葉が気になっている。どこの言葉だ。日本語で言えばいいじゃないか。「嫌がらせ」「いびり」「いじめ」。ちゃんとある。なぜわざわざ横文字にするのか。言葉をぼかすと、何が問題なのかも曖昧になる気がする。それがなんでも「ハラスメント」という言葉に収まると、かえって考えるのをやめてしまう気がする。

何も聞けない職場になっている

新入社員が入ってきたとき、何を聞いていいのか分からなくなっている人が多いらしい。出身はどこか。学校はどこか。趣味は何か。独身か既婚か。こういった話が「聞いてはいけない」雰囲気になっている。個人情報への配慮、ということなのだろう。

聞かれた側が嫌なら、そう言えばいい。ただ、世間話ゼロの職場で、人間関係はどうやって育つのだろう。くだらない話で意気投合することがある。出身地が同じだったとか、趣味が重なったとか。そういう小さな接点が、仕事上の信頼につながることは多い。会話がなければ、その接点は最初から生まれない。

雑談には理屈がある

難しい話を持ち出すまでもない。要するに、「ちょっとした話ができる関係かどうか」が、いざというときに効いてくる、という話だ。仕事の話だけでは、人間同士の空気みたいなものは育たない。育っていない関係で、いきなり大事な話なんてできるわけがない。

昭和の職場が良かったとは言わない。酷いこともあった。上下関係が理不尽に強く、言いたいことも言えない場面も多かった。ただ、振り子が逆に振れすぎている気もする。「何も言わなければ安全」という空気が、今度は別の息苦しさを生んでいないか。

俺の現場でも、聞いちゃいけないことが増えていった

何年か前から、俺の現場でもそうだった。

上から、これは聞くな、あれは聞くな、と通達のようなものが下りてくる。出身地は配慮、家族のことはプライベート、結婚しているかは個人情報、趣味はパワハラの種、出身校はマウント。

セクハラ、パワハラ、モラハラ、マタハラ、最近はカスハラ、リモハラ。〇〇ハラと付けば、なんでも禁忌になる。

差別するつもりなんて、さらさらない。だが、上が「あれもダメ、これもダメ」と網をかけるたびに、現場は息をひそめていく。

上が部下に余計な情報を流さなければ、無用な詮索も起きなかったはずなのに、と思うことがあった。「これは聞いちゃいけない」と通達が出るから、かえって意識する。腫れ物に触る気分になる。触りたくない。関わりたくない。

俺は新人指導には自信があるほうだ――自分でそう思っているだけかもしれないが。普段なら、出身はどこか、何が好きか、と軽く話すうちに、たいてい距離は縮まる。

でも、聞いていいことが年々減っていった。仕事の話だけで一日が終わる。新人がどんな人間なのか、ちっとも分からないまま時間が過ぎていく。

配慮として正しい振る舞いだったのかもしれない。でも、ある程度プライベートな話ができる関係でなければ、親近感もへったくれもない。

あれは、何が良くて、何が悪かったのか。今もよく分からない。

これからの会社というのは、こんな方向で仕事をするのだろうか。正論は分かる。配慮も必要だ。ただ、それだけで一日八時間過ごすのかという話になると、少し違う気がする。

バカ話で息ができた

つらい仕事でも、しんどい現場でも、時々バカ話をしたり、アホなことで笑ったりする瞬間があった。それで息ができた。別に深い意味はない。ただの雑談だ。でもその「ただの雑談」が、次の日も来ようという気にさせてくれていた気がする。仕事を続けられたのは、給料だけじゃなかったと思う。

昭和の飲み会は強制参加で、正直しんどいこともあった。でも仕事以外の話が出てくる場として機能していた部分はある。今は「飲み会の強制参加はハラスメント」という話になっている。それも分かる。ただ、代わりの場をどこに作るのかという問いは、まだあまり聞かない。

あいつに言われると「む」ってなるのに、こいつに言われると妙に納得してしまう。同じ言葉でも、誰が言うかで全然違う。その感覚は信頼とか相性という言葉では説明しきれない。ただ、そういう感覚が育つには、雑談の積み重ねが必要だったと思う。

問題がないことと、面白いことは別の話だ。何も聞けない、何も言えない職場が増えていくとして、そこで働く人間はどこで息をするのか。ハラスメントをなくすことと、人間関係をつくることは、両立できるのだろうか。そこがまだ、うまく言葉にならない。