「痛くないなら来るな」
そう言われたのは整形外科の診察室だった。二、三年前、股関節と膝が痛くなって、町医者から紹介状をもらって行ったときのことだ。
ちょうどその日、症状が落ち着いていた。痛くなる前に診てもらいたかっただけなのに、先生の言葉は短かった。
医者にとっては保険の無駄に見えたのかもしれない。だが、こっちは自分の体が心配で行っているんだ。あの悔しさと戸惑いは、今でもはっきり覚えている。
内科の診察では、毎回同じやりとり
一方、定期的に通っているのは内科だ。血圧が高めで、三ヶ月に一度の診察と薬の処方を受けている。
診察自体は短い。血圧を測って、薬を出して、最後に毎回こう言われる。
「体重を落としてください」「軽い運動をしてください」「適度に水分を取ってください」
毎回、同じ三つだ。
最初の頃は「先生、ちゃんと俺のことを見て言ってくれているのかな」と思った。最近では「またその三つか」と思うだけになった。
言われる前から、自分でやっている
正直に言うと、医者に言われる前から、俺はもう動いている。
散歩は毎日続けている。五千歩、五十分くらい。家の周りを歩く。
家ではヒンズースクワット、腹筋、前屈を、自分なりに二十回ずつ二セット。なんちゃってだが、続けている。
水分も、夏は意識して摂っている。
医者に「体重」「軽い運動」「水分」と言われても、こっちは「もうやってる」と心の中で返している。それでも黙って聞いている。
ただ、こうも思う。この医者は、俺がもう動いていることを知っているのだろうか。三ヶ月に一度、五分の診察で、何が分かるんだろう。
同級生が、消えていく
最近、同級生の話を聞く機会が増えてきた。
がんになった。脳卒中で倒れた。亡くなった。そんな知らせが、ぽつぽつと届く。
他人事じゃない。同じ年代を生きてきた人間が、確実に消えていっている。
だから、痛くなる前に診てほしい。痛くなってからじゃ遅い。同級生が消えていく速さを目の当たりにすると、そう思わずにいられない。
予防として診てほしいだけなんだ。それだけのことが、なぜできないのか。
二人の医者は、俺を見ていない
整形外科の先生は「痛くないなら来るな」と俺を拒絶した。
内科の先生は「いつも同じこと」を毎回言うだけだ。
タイプは違うが、根は同じだと思う。
どちらも、俺という人間の全体を見ていない。
膝も、腰も、血圧も、姿勢も、歩き方も、過去の手術歴も、生活も、運動習慣も――全部つながっているはずなのに、誰もまとめて見てくれない。
「ここが痛いなら他にも関連があるかも」とか「過去の手術歴からこういうケアが必要」とか、そういう視点で診てくれる場所が、医療の中にない。
歯医者では、予防できるのに
歯医者には三ヶ月に一度通っている。歯垢を取って、歯茎をチェックして、虫歯になる前に手を打つ。悪くなる前に通うのが当たり前だ。
なのに、整形外科では痛くなる前に行くと「来るな」と言われる。内科では薬と決まり文句しか出てこない。
歯と体で、なぜこんなに扱いが違うのか。
痛くなる前の兆し、姿勢のクセ、歩き方の偏り、生活習慣との関係――そういうものに目を向けてくれる場所が医療の中にないのが、ずっと引っかかっている。
「病気でない人間は患者ではない」のか
考えてみると、医療というのは「病気を治す」ことに作られているのかもしれない。「病気にならないように見守る」ことには作られていない。
それは制度の問題なのか。専門に分かれすぎた弊害なのか。それとも「病気でない人間は患者ではない」という発想が、医療の根っこにあるのか。
答えは、まだ出ない。
ただ、現役時代と退職後を生きてきた六十六歳の俺には、こう見える。
医療は、まだ俺たち世代の不安に追いついていない。
今思えば、俺も浅はかだったかもしれない
冷静になって考えると、あの整形外科に、ああいう気持ちで行ったこと自体が、間違いだったのかもしれない。
「症状もないのに予防として診てくれ」と求めるのは、保険診療の枠組みの中では筋違いなのだろう。先生が「来るな」と短く言ったのも、忙しい現場では仕方ないのかもしれない。
今は思う。望み方を間違えたのかもしれない、と。望むこと自体が、医療の仕組みに合っていなかった。先生を怒らせたのも、たぶん俺の側に原因があった。
そして、医者の側も、たぶん大変なのだろう。病院の経営、医療従事者の待遇、保険診療の枠組み――聞こえてくる話を並べると、たぶん全部つながっている。それは俺一人で解ける問題じゃない。
それでも――やっぱり、全体を診てくれる医者がいてほしい、という気持ちは消えない。
それは医療への文句じゃない。患者としての、ささやかな願いだ。
全体を診てくれる医療を、あきらめてはいない
それでも、あきらめてはいない。
自分でやれることは、これからも続ける。散歩も、スクワットも、腹筋も、前屈も。なんちゃってでもいい、続けることに意味がある。
ただ、同時に思う。同級生が消えていくこの年齢で、医療に求めているのは「治してくれること」だけじゃない。俺を一人の人間として、全体で見てくれることだ。
それは、全体で診てくれる医者に、まだ会えていない、ということなのかもしれない。

