飛行機は怖い。
あの鉄の塊が、空を飛ぶとはどうしても思えない。地上にあるものは、必ず地上に降りる。昔から、どこかでそう思っている。
実際に乗ったのは、一往復だけだ。それも、座席に座っているあいだ、ずっと身体に力が入っていた。
ただ、怖いのは飛行機だけじゃない。
六十を過ぎたあたりから、地上にいても、怖いものが増えた。
大きな橋が、怖くなった
近所に、海沿いにかかる大きな橋がある。
車道は二車線で、大型トラック同士でもすれ違える。設計としては、何の問題もないのだろう。
それなのに、やけに狭く感じる。
橋の欄干――というのか、左右にあるあれが低い。運転席から下が丸見えで、足がすくむ。
正直、下が見れない。「したみれない」という感じだ。
みんな、よくここを走っているなあ、と思う。怖くないんだろうか。
坂道のクラッチ車も怖い
オートマの車なら何でもない坂道が、クラッチ車だと急に怖くなる。
不思議と、体が覚えている。あの半クラッチの感覚。坂道で発進するとき、ずるっと下がるか、エンストするか――その瀬戸際の感触が、まだ手と足に残っている。
途中で止まろうものなら、冷や汗が止まらない。後ろの車が詰めてきて、こっちは半クラッチで踏みとどまろうとして、足が震える。
今はもうクラッチ車には乗らないが、もし乗ることになったら、坂道だけは避けたい。
下が見える場所が、怖い
橋もそうだが、下が見える場所全般がだめになってきた。
下が崖になっているところ。電車のレールの下を見下ろすところ。展望デッキで足元がガラス張りになっているところ。
見ると、足元から空気が抜けるような感覚がする。
吸い込まれそう、というほどじゃない。ただ、自分の体重が急に頼りなくなる。「ここから落ちたらどうなるか」を、頭が勝手に計算してしまう。
これも、また顔面蒼白になる。
都会の交差点も、怖い
ふだん運転するのは田舎道だから、都会の交差点に出ると怖い。
普通の二車線でも、隣に大型車が並ぶと、風圧を感じる。車ごと、横に押される気がする。
最近の車は車高が高い。風の強い日は、それが余計に効く。橋の上、トンネルの出口、開けた道。風が吹き抜けるたびに、車ごと持っていかれる感覚がある。
実際にはそんなことは起きていない。だが、体が勝手に身構える。
みんな平気そうに見える
不思議なのは、こういう場所で、みんな平気そうに見えることだ。
橋を、すいすい走っている。坂道で平然と止まって発進する。下が見える場所でも、あっさり覗き込んでいる。風の強い日でも、平気で運転している。
俺だけ、おかしいんかな。
そう思うことが、最近とくに増えた。
五十歳までは、気にしなかった
五十歳くらいまでは、こんなことは全然気にしていなかった。
橋も、坂道も、下が見える場所も、風の強い日も、当たり前に通っていた。「なんか、こえーな」なんて思ったことはほとんどなかった。
それが、六十を過ぎたあたりから、なんだか、いらんことを考えるようになった。
落ちたらどうなるかを、具体的に想像してしまう。
若い頃は、見ないようにしていたのかもしれない。考えないようにしていただけかもしれない。
今は、見えてしまう。考えてしまう。
安全と安心は、同じじゃない
橋は、設計上は安全だ。坂道も、運転技術がちゃんとあれば安全だ。駐車場だって、ルールを守れば事故は減る。
統計的には、たぶんどれも安全な範囲なのだろう。
でも、安心かと言われると、別だ。
安全と安心は、どうやら同じじゃない。頭ではわかっていても、体が納得しないことがある。
それを「おかしい」と言えば、そうなのかもしれない。
でも――怖いものを怖いと感じる感覚が、まだ残っている、とも言える。
年を取るって、感じることが増えること
年を取るって、平気になることじゃないんだな。
そう思うようになった。
若い頃は、見えていなかった。聞こえていなかった。感じていなかった。
今は、いろんなものが見える、聞こえる、感じる。
落ちたらどうなるか。風で持っていかれたらどうなるか。
具体的に想像できるようになっただけ、ともいえる。それは、おかしいことじゃないのかもしれない。
年を取るって、平気になることじゃなくて、感じることが増えることなのかもしれない。
そう思うことにした。
それでも怖いものは怖いままだが、自分だけがおかしいわけじゃない、と思えると、少しだけ楽になる。

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