「故障だけはさせちゃダメだ」――テレビでそう語る元監督がいた。元ロッテ監督で、いまは楽天を率いる吉井理人だ。誰のことか、すぐに分かった。
野球を観ていて、ずっと気になっている選手がいる。佐々木朗希だ。あれだけの才能を持ちながら、登板を制限され、大事に大事に扱われてきた選手だ。
つまり「投げるな」という判断は、監督側の意思だったということだ。本人がどう思っていたかは、その言葉の中には出てこない。
大事にされる立場の、不自由さ
外から観ていると、どうしても考えてしまう。
彼は指導者の言う通りに動いていただけなのか。それとも、自分でやりたいことがあったのか。
若く、期待され、壊したら終わりだと周囲が分かっている状況で、「自分はこうしたい」と言うのは簡単じゃない。言えば重くなる。通らなければ空気が変わる。ならば黙る、という選択もある。
才能は羨ましい。
だが、有名になりすぎて、かわいそうにも見える。
自分の主張は、彼の中にあったのだろうか。誰かと膝をぶつけて会話したことが、あったのだろうか。
大事にされている立場は、自由でもあり、不自由でもある。無理をしなくて済む代わりに、失敗する自由もない。外からは恵まれて見えても、本人の中では、納得と諦めが入り混じっていたかもしれない。
才能があるほど、周りが先回りして決める
才能があればあるほど、周りが先回りして決める。本人が選ぶ前に、環境が選んでしまう。
結局のところ、いいなりだったのか、主張したのか、うまく立ち回っていたのか。その答えは一つではないし、当事者にしか分からない。ただ、その曖昧さごと抱えながら前に進むしかない時間が、確かにあったのだろう。
俺はどうだったか。仕事を選べるほど就職先はなかったし、公務員になれる頭もなかった。次男なのに家を継ぐハメになり、親を恨む気持ちがなかったわけでもない。かといって、一人で生きていく根性もない。結局、親に甘えていたんだな、と今は思う。
だから、彼の中にあったかもしれない納得と諦めを、他人事とは思えない。
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次男なのに家を継いだ話は、ここに書いた。



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