「故障だけはさせたくなかった」――テレビでそう語る元監督がいた。誰のことか、すぐに分かった。
野球を観ていて、ずっと気になっている選手がいる。あれだけの才能を持ちながら、登板を制限され、大事に大事に扱われてきた選手だ。
つまり「投げるな」という判断は、監督側の意思だったということだ。本人がどう思っていたかは、その言葉の中には出てこない。
大事にされる立場の、不自由さ
外から観ていると、どうしても考えてしまう。
彼は指導者の言う通りに動いていただけなのか。それとも、自分でやりたいことがあったのか。
若く、期待され、壊したら終わりだと周囲が分かっている状況で、「自分はこうしたい」と言うのは簡単じゃない。言えば重くなる。通らなければ空気が変わる。ならば黙る、という選択もある。
才能は羨ましい。
だが、有名になりすぎて、かわいそうにも見える。
自分の主張は、彼の中にあったのだろうか。誰かと膝をぶつけて会話したことが、あったのだろうか。
才能があるほど、周りが先回りして決める
才能があればあるほど、周りが先回りして決める。本人が選ぶ前に、環境が選んでしまう。
そういうことは、スポーツの世界に限らない。
俺たちの世代も、学校で「いい会社に入れ」とだけ教わった。会社の外で生きる選択肢は、ほとんど示されなかった。
「投げるな」と「いい会社に入れ」。
言葉は違う。立場も違う。才能のレベルもまるで違う。
それでも、根は同じだ。
誰かに敷かれたレールの上を走ること。本人が選ぶ前に、環境が選んでしまうこと。
57歳、諦めた転職の話
ここで、自分の話を一つ書いておきたい。
社会に出て三十年が過ぎた頃、転職を考えた。
面接にも行った。合格もした。
だが、行かなかった。
提示された給料が、月十六万だった。当時の俺は三十万もらっていた。
「安すぎる」――そう思って、首を縦に振らなかった。
行ってみたかった、という気持ちは、今でも残っている。
妻に頼んで、彼女が働いてくれていたら、行けたのかもしれない。妻は金にあまり頓着しないところがあるから、案外「行ってこい」と言ってくれたかもしれない。
ただ、当時の俺はそこまで踏み込めなかった。人に頼るのは良くない、自分で背負うのが当たり前――そういう感覚が、染みついていた。
今になって思う。あれは、自分で選んだというより、諦めただけだ。納得したわけじゃない。
抜けられないまま四十年
結局、定年まで勤めた会社は、出鱈目な会社だった。
よくあんな所で四十年も我慢していたな、と自分でも思う。
ただ、どの会社にも、いいところと悪いところはある。それは分かっている。「外の芝が青く見える」という話も、半分は本当だろう。
それでも、十六万を諦めて三十万に残った俺は、安定を選んだのか、勇気がなかったのか。今でも、はっきり仕分けできない。
「いい会社に入れ」と教わって、入って、抜けられないまま、四十年が過ぎていた。
「投げるな」と言われた選手と、諦めた俺
ふと、最初の話に戻る。
「投げるな」と言われ続けた選手が、自分の意思で「投げたい」と言えなかったとしても、俺は責められない。
俺自身も、「行きたい」と言える場面で、言えずに終わったからだ。
向こうは、才能を周りに守られて、自分を出せなかった。
こっちは、給料の差を理由に、自分を出さなかった。
どちらも、自分で選び切れなかった、という意味では同じだ。
ただし、迷うこと自体は悪くないと思う。
「これでよかったのか」と考え始めた時点で、初めて自分の選択が始まる。
迷わない人間は、最初から答えを与えられていた人間だ。
迷っている間は、まだ自分の人生を手放していない。
自分で選んだ実感が、あるか
六十六歳になって、俺はようやく考え始めた。
「自分で選ぶ」とはどういうことか。
四十年遅かった、とも言える。だが、考え始めたのが今でよかった、とも思う。
分からないまま選んだ人生を、これから少しずつ、正解に近づけていく。
それくらいしか、できることはない。
あなたは、自分の人生を、自分で選んだという実感があるだろうか。
そう聞かれて、即答できる人もいる。詰まる人もいる。
詰まったとしても、それは恥ずかしいことじゃない。
問い始めた瞬間から、人生は、ようやく自分のものになっていく。
それだけは、六十六まで生きてきて、確かに思うことだ。


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