「100メートルを10秒で走れ、正社員!」——適材適所を無視した職場の話

違和感
「100メートルを10秒で走れ、正社員!」——適材適所を無視した職場の話

町内会の議事録を四回担当した。四回とも、メモが間に合わなかった。

毎回、後から他の人に確認しながら仕上げた。情けないとは思っていた。でも「なんとか仕上げた」と思ってもいた。

ところが先日、担当を交代して、隣でその人のメモを取る様子を眺めていた。話が飛ぶように進む中で、手が止まらない。聞こえたそばから、すらすらと書き続けている。

「コイツ、すごい才能だな」と、素直に思った。

同時に、四十年前のある言葉が頭をよぎった。

生産部長に言われたこと

定年が近くなったころ、製品の外観検査の現場に配属された時期があった。

近視で老眼だった。細かい傷や色むらを目で確認する仕事は、正直きつかった。

そのとき生産部長に言われた言葉がある。

「正社員なんだから、それぐらいできないと困る。給料もちゃんと出してるんだから」

? となった。

近視で老眼で、検査しろと?

それを言うなら、こう言い返したかった。

「100メートルを10秒で走れ、正社員!」

給料をもらっているから、何でもできて当然――その理屈は、おかしくないか。

外観検査というのはこんな仕事だ

外観検査というのは、人間の目で良し悪しを判定する仕事だ。機械じゃない。

基準はあっても、人によってばらつく。それは構造上、避けられない。

しかも外観に傷があっても、機能上はまったく問題ない場合が多い。傷があっても動く。色むらがあっても壊れない。そういう性質の仕事だ。

それを「正社員なんだから」という一言で、個人の能力問題にすり替える。

これは話のすり替えだ。組織のしくじりを、個人の努力不足にひっかぶせている。

そいつを採用したのは誰だ

もうひとつ言いたいことがある。

「そんな奴では困る」と言うなら、そもそもその人間を採用したのは誰か。

配属を決めたのは誰か。近視で老眼の人間を、外観検査の現場に置いたのは誰か。

責任の矛先が、完全に逆だ。

数字しか見ない管理職は、人を「使えるか使えないか」で判断する。現場に立ったことがない人間ほど、そういう言葉を平気で使う。

メモの話に戻る

町内会の議事録の話に戻ろう。

隣の人のメモの速さを見て気づいたことがある。あの人は「速記者」だ。聞こえた言葉をそのまま書く。意味の整理は後回し。それができる人間だ。

俺は違う。聞きながら「この発言の意図は何だ」「どこにつながる」と考えてしまう。だから手が止まる。

四十年、なぜなぜ分析をやってきた人間の性質だ。原因を突き詰めずに次へ進めない。それが染み付いている。

「無心にメモればいい」とわかっている。でもそれは、俺には永遠にできない。

適材適所を無視した組織が、人を壊す

向き不向きは、欠点ではない。

苦手なことがあるのは「できない人間」だからではなく、「向いていない場所にいるだけ」の話だ。

それを無視して「正社員なんだから」と言う組織は、人を道具として見ている。道具が仕様通りに動かないと怒る。そういう場所だ。

欠点と強みは、たいてい同じところから来ている。考えすぎる人間は、整理することが得意だ。速く書けない人間は、深く理解しようとしている。

それを活かす場所に置くのが、組織の仕事のはずだ。

気づくのに、四十年以上かかった

六十六歳になって、ようやく自分の苦手と折り合いがついた気がする。

遅いかもしれない。でも気づかないよりはましだと思っている。

そして今も思う。あのとき生産部長に、こう言えばよかった。

「近視で老眼で検査しろというなら、100メートルを10秒で走れと言うのと同じですよ」と。

言えなかった。あの頃は、まだ自分の苦手を「欠点」だと思っていたから。

でも今なら言える。

苦手は欠点じゃない。置かれた場所が違っただけだ。

それに気づくのに、四十年以上かかった。