朝、誰もいない田んぼ道を歩いている。
3年続けている。コースはその日の気分で決める。決めているのは時間帯だけ――午前中。距離は5000歩、50分から60分。
多少の雨なら歩く。風が強くなければ行く。
最初は健康のためだった。今は、歩くと頭がスッキリする感覚を求めて外に出ている。心の中のノイズが減って、頭が澄んでいく。ブログのネタが浮かぶこともある。
特別なことを考えているわけではない。ただ、歩き終えると気持ちがいい。それが続いている理由だ。
もう、歩けなくなりたくない
なぜこんなに律儀に続けているのか、自分でも分かっている。
過去に、膝も、股関節も、腰も痛めた。歩くこと自体が辛くなった時期がある。
あの感覚にはもう戻りたくない。脅迫観念に近いかもしれない。歩けなくなったら、自分の世界が一気に縮む。それが分かってしまったから、歩けるうちに歩いておく。
元々、腰の悪い家系なのかもしれない。子供の頃から医者にかかっていた。年に一度くらい、痛み止めのような注射を打たれた記憶がある。
就職して、重たいものを持つ仕事に就いた。あるとき、一人で無理をして壊した。あの時の感覚は、今も体のどこかに残っている。
健康のため、というより、歩けなくなる未来への抵抗として歩いている。
白鳥と、鴨の親子
田んぼ道を歩いていると、空に白鳥の群れを見ることがある。
季節になると、田んぼの真ん中で白鳥の大群が休んでいる。あんなに大きな鳥が、黙って一面に並んでいる光景は、人間の喧噪と無縁の静けさだ。
飛んでいる白鳥は、きれいにV字を組む。先頭が交代しながら、長い列を引いて空を渡っていく。
あれを見上げているとき、人間の世界のことが、少しどうでもよくなる。
川には、鴨の親子がいる。つがいで泳ぐ姿もある。
人に会いたくない
正直に言えば、散歩中に人に会いたくない。
挨拶が面倒だ。世間話を始められたら、足が止まる。心のリセットが台無しになる。
だから、コースは人目を避けたところを選ぶ。田んぼ道。路地裏。誰もいない場所を歩く。
人嫌いというわけではない。ただ、歩いている時間だけは、自分と空と田んぼと鳥だけでいい。
冬の散歩
冬は、とにかく寒い。
手袋をして、首を縮めて歩く。それでも歩く。
田んぼの稲株に霜がついているのが見える。吐く息が真っ白になる。
寒いから歩くのをやめる、という発想が、もうなくなっている。
続けられないものもある
続いているものがあれば、続かなかったものもある。
少し前、タイピングの練習を始めた。ブログを書く時間を短くしたかった。
1ヶ月、頑張った。
それでも、ある日、手を止めた。
指が言うことを聞かない。
詳しい話はしない。ただ、キーに届かない指がある。打ちたいキーに、別の指が当たる。練習しても、その癖が抜けない。
最初は「自分のやり方が下手なのかもしれない」と思っていた。けれど、1ヶ月やって、たぶんそうじゃないと分かった。
指が、自分の意思とは別に動いている。あるいは、動かない。
そこで、諦めた。
続かないものを体が知っていた
3年続けた散歩と、1ヶ月で諦めたタイピング。
差は、たぶん「自分に合っているかどうか」だ。
歩くのは、合っていた。タイピングは、合わなかった。
おかしなもので、タイピングでは言うことを聞かない指が、ギターのアルペジオでは、ちゃんと動く。やっとこさ、ではあるが。
同じ指でも、合うものと合わないものがある。
「続ける力」とは、続けるべきものを選ぶ力ではなく、続かないものを早く諦める力でもあるのかもしれない。
体は、案外それを知っている。

