田んぼ道を歩いていたら、なんで俺はここにいるんだと思った

気づき

小雨がパラついている朝でも、俺はヤッケを羽織って外へ出る。傘はさすのが面倒くさいし、それほどの雨でもない。ヤッケの生地に細かい水滴がついて、歩くたびにすこしだけ光る。そういうのを眺めながら、田んぼ道をてくてく歩く。毎日のことだから、もう特別でもなんでもない。ただ出る。それだけだ。

道の両脇は田んぼで、この時期は水を張った田が続いている。空の色が地面に映っていて、曇りの日は全体がグレーに沈む。晴れた日は水面がキラキラして、少し眩しい。どっちでもいい、とだんだん思うようになってきた。

鴨は逃げる、白鳥は堂々としてる

田んぼ道で毎日顔を合わせるのが鳥たちだ。

鴨は面白い。俺が20メートルくらいまで近づくと、もう逃げる。水面をバシャバシャと蹴って、ちょっと先まで飛んで、また降りる。懲りない。また近づくとまた逃げる。その繰り返しを毎朝やっている。鴨からしたら俺は「毎日来るやつ」のはずなのに、いつまでも慣れない。「俺、そんなに怖い顔してるか」と思わなくもないが、まあ、鴨にはそういう判断基準はないんだろう。

白鳥は違う。V字の編隊を組んで飛んできて、田んぼにゆっくり降りる。降りてからも堂々としていて、俺が近くを通っても動じない。あの落ち着き、ちょっとうらやましいじゃねーか。鴨みたいにビクビクせず、かといって威張るわけでもない。ただそこにいる。それだけで絵になる。

カラスやすずめは、もっと現実的だ。田んぼをつついて、食えるものを探して、また移動する。彼らに哲学はない。食う、動く、それだけだ。俺は毎朝その光景を見ながら、なんとなく「そっちのほうがシンプルでいいな」と思う。

歩いていると、頭が空っぽになる

歩き始めてしばらくすると、頭の中がだんだん静かになってくる瞬間がある。

最初のうちは、いろいろ考えている。今日の予定とか、昨日見たニュースとか、ブログのネタとか。それが歩いているうちにだんだん薄れていって、気がつくと何も考えていない時間になっている。頭の中が空っぽ、というやつだ。ぼんやりしているわけじゃなくて、足は動いているし、目は景色を見ている。ただ「思考」だけが止まっている感じ。

これが悪くない。というか、かなりいい。

起きてすぐは頭がザワザワしていても、歩いてこの状態になると、なんか落ち着く。なにかを解決したわけじゃない。ただ静かになる。それで十分だと最近は思っている。

なんで俺はここに存在しているんだ

散歩中に、ふと、なんで俺はここに存在しているんだかが、頭によぎるような。答えは出なかった。でも歩き続けた。

これ、最初は「変なこと考えてるな」と思ったんだが、最近は別にそう思わなくなった。田んぼ道を歩いていて、鴨が逃げていって、白鳥がV字で飛んでいって、小雨がヤッケに当たって、そういうものが全部ある中で、俺もここにいる。それが「なんで」って、まあそうなるよ。答えが出るわけもないし、出さなくていいとも思う。ただよぎる。それだけだ。

むしろ、答えを出そうとしていた頃の俺のほうが浅はかだったかもしれない。何かを理解しようとして、まとめようとして、納得しようとして。そういう動きが全部、余計だったんじゃないかと今は思う。答えなんて出なくていい問いというものが、世の中にはある。

ま、いっか、歩いてるし

明日も田んぼ道を歩くと思う。天気がよければそのまま、小雨ならヤッケを着て。鴨がまた逃げて、カラスがまた田んぼをつついて、たぶん白鳥も来る。

そのうちまた「なんで俺はここにいるんだ」が頭によぎるかもしれない。よぎったらよぎったで、まあいい。答えは出ないし、出なくていい。

ま、いっか。歩いてるし。

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