電話が嫌いな66歳が、若い世代の「電話恐怖症」を見て思うこと

気づき

今でも電話は嫌いだ。

できればメール、できればLINE、できれば文字で済ませたい。電話の着信音が鳴ると、たいていの場合、ちょっと身構える。

六十六歳になった今でも、これだ。

子供の頃、家に電話はなかった

俺が子供の頃、家に電話はなかった。

うちは貧乏で、アパート暮らしだった。電話を引くという発想自体、家になかった。

緊急の連絡があれば、近所の家を借りる。それが当たり前だった。

電話というのは、毎日の暮らしの中にあるものじゃなかった。「特別なときに使う、よそのもの」だった。

たぶん、初めて自分の家に電話が引かれたのは、高校に上がる頃のアパートだった気がする。それすら、はっきり覚えていない。

電話に慣れる機会が、子供の間にはほとんどなかった。

社会人になって、否応なく向き合うことに

ところが、社会に出たらそうはいかない。

電話は、仕事の生命線だった。

俺は外注担当の窓口だった。取引先と話す、納期を確認する、トラブルの一報を受ける――電話なしでは仕事が動かなかった。

苦手なまま、緊張したまま、出るしかない。出ないわけにはいかない。

「変なことは言えない」

「正確な情報を伝えないと、信用問題になる」

会社の窓口として応対しているから、こっち個人の感情で話していいわけじゃない。一言で会社の信用が傾く。

そう思うと、電話の前で胃が痛くなった。

箇条書きで頭を整理する

それでも仕事は回さないといけない。

そこで覚えた処方箋がある。

電話をかける前に、紙に箇条書きで、言うことと聞くことをまとめる。

頭の中だけで持っていると、緊張で飛ぶ。電話越しに「あ、えーと」となる。それを防ぐために、紙に落とす。

最初は、これに時間がかかった。十分の電話のために、三十分かけて準備していた頃もある。

訓練を重ねていくうちに、その整理が早くなった。受話器を取る前の数十秒で、頭の中で箇条書きを組み立てられるようになった。

苦手なものを「やらないで済ます」じゃなく、「苦手なまま、何とか回す」のが俺たちの世代のやり方だった。

避ける選択肢は、なかった。

退職して、電話の出番は激減した

仕事を辞めたら、電話を使う場面は一気に減った。

家族との連絡はLINE、買い物はネット、ちょっとした問い合わせはメール。電話を取る回数は、月に数回あるかどうかだ。

正直、楽になった。

着信音で身構えていたあの感覚が、ほとんどなくなった。

「電話のない暮らし」――子供の頃と、似たような感覚に戻ってきている気がする。

今の若い世代の「電話恐怖症」

最近、「電話恐怖症」という言葉を耳にするようになった。

着信音が鳴ると緊張する。店の予約はネットで取る。友人に電話する前にメッセージで「これから電話していい?」と聞く。留守電が残せない。沈黙の間に耐えられない。

そういう若い世代が増えているらしい。

それを聞いて、俺は思った。

俺たちも、たぶん同じだった。

仕事で否応なくやらされていただけで、根っこの感覚は同じだったんじゃないか。「電話は緊張する」「相手の都合を無視する道具だ」「文字のほうが楽だ」――俺たちだって、心の奥ではそう思っていた。

ただ、避ける選択肢がなかった。

避けられなかった世代と、避けられる世代

俺たちの時代は、電話を避けて仕事は成立しなかった。だから訓練した。箇条書きで頭を整理した。身構えながら受話器を取った。

今の若い世代は、メールやチャットで多くのことが済む。電話を避ける選択肢がある。

どっちが幸せかは、分からない。

訓練で覚えた俺たちの「箇条書き処方箋」は、今でも電話の前で役に立っている。「やらされて覚えた」ことが、無駄だったとは思わない。

ただ、「避けられない」という不自由が、必ずしも美徳だとも思わない。

避けられる時代になったのは、たぶん進歩だ。苦手なものを、苦手だと言える時代になった、ということだ。

それでも、箇条書きは今も有効だ

最後に、ひとつだけ。

電話の前に箇条書きで頭を整理する習慣は、今でもおすすめだ。

苦手な電話だけじゃなく、ちょっと緊張する電話、相手が偉い人の電話、初めての相手への電話――どんな場面でも、箇条書き一枚あれば、慌てない。

「あ、えーと」が減る。「次に何を言うんだっけ」が減る。

苦手を消す必要はない。苦手と上手く付き合うだけでいい。

俺たちの世代がやってきたのは、結局、そういうことだ。

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