性格診断は本当に当たるのか――半分冷やかしで観てもらった話

気づき
性格診断は本当に当たるのか――半分冷やかしで観てもらった話

半分冷やかしで観てもらった

あるオフ会に出た。

そこに、性格診断をやっている方がいた。元は小学校の先生で、今は人の性格を観るのを仕事にしている。きちんと料金を取るプロだ。

参加者の流れで、みんなが順番に観てもらう雰囲気になった。正直、俺は半分冷やかしだった。値引きで千円。定価は三千円くらいだろうか。「ま、千円ならいいか」と腰を下ろした。

自分のことは自分が一番、のはずだった

腰を下ろしながら、こうも思っていた。

――自分のことは、自分が一番知っているわ。

性格診断の本は、これまでにシコタマ買い込んで調べてきた。占い系の本も、性格分類の本も、似たようなものを何冊も読んだ。「お前なんかにわざわざ教えてもらわなくても」――心の中で、そう呟いていた。

占いって元を辿れば一緒なんでねーか

ところがだ。

観てもらった結果は、自分で本を読んで出していた答えと、ほぼ同じだった。

考えすぎて動けなくなる。慎重で、人の気持ちに敏感。深く考える。自分の軸を大事にする。

なにより驚いたのは、本で読んだ占いと、目の前のプロの口から出てくる言葉が、ほとんど揃っていたことだ。切り口は違うのに、結論はぴったり重なる。

そこで、ふと、ある考えが浮かんだ。

――占いって、元を辿れば一緒なんでねーか?

いろんな名前で売られてはいるが、根っこのところは同じものを、入口を変えて並べているだけなんでねーか。宗教だって「なになに宗」と分かれてはいるが、ずーっと上のほうをたどっていけば、同じ存在に行き着くんでねーか。

案外、いい加減なものだ。

「信じる者は救われる」ってか――。

口には出さなかったが、観てもらいながら、俺は胸の中でそう呟いていた。

四十年、教わる立場でずっと思っていた

ただ、ひとつ気づいたこともある。

俺は現役時代、現場で四十年やってきた。

その四十年、教わる立場でいつも思っていた。

――なんで、世の中の指導者というのは、こうも教え方がヘタなんだ。

正直、まともに教えられた経験は、ほとんどない。一方的にしゃべる人。同じことを何度も繰り返す人。こちらの顔も見ないで進める人。「これでわかれ」と放り投げる人。

だから、自分が教える側に回ったとき、まず相手の表情を見るようになった。

伸びるやつ、だめなやつ

新人教育を任されることもあった。そのとき、伸びるやつとだめなやつは、最初の数日で大体わかった。

伸びるやつは、心構えが違う。言われなくても自分から手帳を出して、メモを取り始める。覗けば、的確に書いてある。

だめなやつは、メモを取らない。同じことを何度も聞く。「お前、何しに来たんだ」と言いたくなる。

ただ、今になって思うことがある。

メモを取るやつは、単純作業に向いているのかもしれない。地道に積み上げる仕事に、向き不向きがある。

メモを取らないやつは、そもそもこの仕事にやる気がなかったのかもしれない。違う場所でなら、違う才能を活かせたのかもしれない。

俺は当時、そこまでは考えなかった。「お前、何しに来たんだ」と思っていた。

人を見る目はあった、でも

人を見る目は、俺にもあったのかもしれない。だが、人を活かす目は、まだ足りなかった。

ヘタな指導者ばかりに揉まれてきたからこそ、自分は同じことをしないと決めていた。それでも、足りなかった。

その俺が、プロに観てもらうと、ほとんど当てられる。自分でシコタマ調べた答えと、向こうの言葉が揃ってしまう。

これが当たっているのか。それとも、人間というやつには、結局みんな似たような傾向があるだけなのか。

――俺は六十六歳。今ごろになって、ようやく自分のことを「知り始めた」気がしている。

四十年の現場で、人をさんざん見てきた。それでも、自分のことは、また別だった。

あなたは、自分の性格を本当にわかっているか?

そう思っていても、案外、知らないでいるのかもしれない。