「がんばらない、でもあきらめない」〜鎌田實医師の言葉に学ぶ、定年後のしなやかな生き方〜

学び


「頑張ってください」が、しんどい時がある

「頑張ってください」
この言葉に、最近どうも引っかかるようになった。
特に、心身ともに疲れ果てている人に対して、それを口にすることにためらいを覚える。

地震のニュースを見ていても、がれきの中で呆然と立ち尽くす人に向かって「頑張って」なんて、もう言えない。
大変ですね、とか、無事でよかったですね、とか、言葉はあっても、その一言だけは口に出せない。
なんでだろう。
たぶん、自分の中で「頑張るって、そんなに簡単なもんじゃない」と思っているからだ。


【鎌田實という人】「がんばらない」の意味を教えてくれた医師

そんなときに出会ったのが、鎌田實(かまた・みのる)医師の言葉だった。
彼は『がんばらない』『がんばらないけど、あきらめない』というベストセラーで知られている医師であり、作家でもある。
長野県・諏訪中央病院を地域医療の中核に育てあげた人であり、チェルノブイリやイラクへの医療支援を長年続けている。

その彼が唱える「がんばらない」という生き方。
最初は意外に思ったが、読み進めるうちに、「これは逃げではない」と気づかされる。
無理をしない、力を抜く、けれど、希望は手放さない。
それが「がんばらないけど、あきらめない」という在り方なのだ。


【心に響いたこと】「ピンピン、ひらり」という考え方

特に印象的だったのは、「ピンピン、ひらり」という言葉。
ピンピンと元気に生きて、最期はひらりと。
できるだけ人の世話にならず、自然に終わる。
そのためには、無理せず、でも淡々と日々を積み重ねることが大事だと説く。

この考え方に、私の中の「頑張ってください」への違和感がストンと腑に落ちた。
無理をして生きることだけが、頑張ることではない。
むしろ、「いま十分に頑張っている人」に必要なのは、「頑張らなくても大丈夫」という許可かもしれない。


【自分の暮らしに置きかえて】がんばらないで、つづける

私は、股関節や膝の痛みで動けなくなったことがある。
あのとき、無理に頑張っていたら、きっともっと悪化していただろう。
でも「ちょっと歩けるようになったから」「今日だけは散歩してみようか」と、ほんの少しの気持ちで始めた散歩が、いまの習慣になっている。

無理して頑張るよりも、あきらめないことのほうが、ずっと続く。
鎌田さんの言葉が、静かに背中を押してくれている気がする。


【あとがき】“言葉の温度”に、敏感でありたい

「頑張ってください」という言葉には、たしかに励ましの気持ちがある。
けれど、相手の状態によっては、その言葉が「追い打ち」になることもある。

だからこそ、言葉を選ぶときには、すこしだけ立ち止まりたい。
その人はいま、どれくらいの言葉の重さなら、受け取れるだろうか。

「がんばらないけど、あきらめない」
この言葉には、やさしい体温がある。
私もまた、自分や大切な人に、そういう言葉をかけられる人でありたいと思う。

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