なんでもかんでもハラスメント。でも、本当に問題なのはそこ?〜今どきの“言葉狩り時代”に思うこと〜


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最近、「なんでもかんでもセクハラ・パワハラ」って言われるような時代になった。
言葉の“言い方ひとつ”で、評価がガラッと変わる。なんとも窮屈な世の中だなと感じることがある。

もちろん、注意が必要なことはわかってる。
でも、**言葉の“言い方”だけがすべてなのか?**と、ふと思うことがある。


■ 昔の現場では、信頼で成り立っていた会話があった

現場のリーダーをやっていた頃、口のきき方が少し荒っぽくても、
「こいつのために言ってる」ってわかってもらえてた。

「何やってんだ、これ違うだろ!」なんて言っても、
相手が心を開いていれば、逆に「すみません!」ってなるような空気があった。

それは日頃の積み重ねがあったからだと思う。
一緒に飯を食ったり、仕事の合間に他愛もない話をしたり。
そういう時間が、自然と“信頼”をつくっていた。


ただ、こんな話を書きながらふと思う。
「これって誰かの役に立つんだろうか?」

正論じゃないし、マニュアルでもない。
でも、きっと今の時代に少し言葉が出しづらくなってる人にとって、
**「こう思ってるの、自分だけじゃなかったんだな」**って思えるきっかけになれば、それで十分じゃないかと。


■ 今は、関係性がない状態での“正しい言葉”が求められる

今の職場では、「言い方」ばかりが注目される。
どれだけ正しいことを言っても、「その言い方はちょっと…」と注意されることもある。

でも、どんなに綺麗な言葉でも、そこに気持ちがこもってなければ人は動かない。
逆に、少し言葉が足りなくても、信頼関係があれば通じることがある。


自分が言いたかったのは、こういうことなんだと思う。
言葉の“正しさ”よりも、心が通ってるかどうか。

だからこそ、昔の人付き合いには「下手でも通じる」関係があった気がする。
今の時代にも、そんな空気を少しでも残せたら、きっと誰かの救いになる。


■ 相性と信頼、それがすべてじゃないか?

話しやすい人って、言葉のチョイス以前に「安心感」がある。
ちょっとくらい失礼でも、「この人、悪気ないな」ってわかる。

「あの人なら何を言っても怒らない」
「あの人の言うことなら聞く気になる」

これって、言葉の上手さじゃなくて、信頼の貯金があるからだと思う。


こういう話、もしかしたら誰かには古臭く感じられるかもしれない。
でも、“うまく言えないけど、なんか分かる”っていう人が、どこかにいるような気がする。

そういう人に届けば、この文章は無駄じゃない。


■ 言葉を選ぶだけじゃなく、関係を育てたい

もちろん、今の時代は“失礼なことを言わない”努力が必要だし、
言葉に配慮するのもマナーのひとつ。

でも、それと同じくらい、「信頼される人間でいよう」とする努力も大切なんじゃないか。

繊細な時代でも、「この人とは話していて心地いい」と思ってもらえるように、
“話せる関係”をつくっていく努力は、きっと今も報われる。


■ そして正直に言うと…

書いているうちに、だんだん自分でも「何が正解なんだ?」とわからなくなってきた。

言い方が悪ければセクハラ?でも相手が信頼していればセーフ?
相手が不快ならアウト?じゃあ、最初から何も話さないのが正解?

なんだか、考えれば考えるほど、わけがわからなくなってくる。
支離滅裂かもしれないけど、それが“今の時代のリアル”なんだと思う。


結論なんて出ない。けど、こうして迷いながらでも書くことで、
「自分も同じことで悩んでた」と思える人が、少し楽になるなら。

それだけで、この記事には意味があると思っている。

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