偶然の連鎖=必然のような現象(武道・芸道+体験談)

人生のさまざまな場面で、「偶然のように見えて必然」と思える瞬間があります。
これは日常生活だけでなく、武道や芸道の世界でも語り継がれていることです。ここでは、一般的に知られている事例を紹介したあと、私自身の不思議な体験についても触れてみたいと思います。


武道編(柔道・剣道・弓道・書道)

武道は鍛錬の積み重ねで技が磨かれますが、ときに「偶然」が大きな意味を持ちます。

  • 柔道:相手を崩す「崩し」が狙わずとも決まることがあります。普段なら効かない動きが、相手の重心のズレと偶然かみ合い、一本につながる。これはまさに必然と偶然の交差点です。
  • 剣道:相手が打ちに出た瞬間に「出鼻を取られる」現象。自分は狙っていなくても、体の自然な反応で竹刀が動き、相手より早く有効打になることがあります。
  • 弓道:狙いを定めすぎずに引いた矢が、なぜか的の中心に当たる。「狙わずして中る」と表現される現象で、心と体の調和が偶然を呼び込むと言われます。
  • 書道:筆がかすれたり、墨がにじんだりする失敗が、かえって味わい深い作品を生み出すことがあります。偶然の線が作品全体を引き締めることも少なくありません。

芸道編(茶道・華道)

芸道の世界もまた、偶然が必然のように働く領域です。形式や作法がある一方で、その場の空気を作るのは、しばしば思いがけない出来事です。

  • 茶道:茶席では、炭がはぜる音や湯気の立ち上る具合が、偶然ながら心を落ち着け、空間を整える役割を果たします。計算された所作の中に、自然の偶然が調和します。
  • 華道:生けた枝が予想外の方向に曲がったり、花びらが少し枯れたりすることが、かえって作品全体を美しく見せることがあります。「未完成の美」として、偶然の要素が作品を完成させるのです。

私自身の体験談

実は私は、茶道や華道、武道の経験はありません。けれどスポーツや日常の中で「偶然が必然に変わる瞬間」を味わったことがあります。

  • テニスのスマッシュ練習
     練習中、なぜかラケットのど真ん中に当たるスマッシュが10回連続で決まったことがある。狙ったわけでもなく、ただ自然に体が反応しているような感覚。まるで偶然の連鎖が続いているように感じました。
  • 野球のフライキャッチ
     フライを完全に見失い、仕方なく振り向いた瞬間、グローブにボールが収まっていたことがある。誰に話しても信じてもらえないような出来事ですが、あれは偶然を超えた“導かれたキャッチ”だったのかもしれません。
  • ソフトボールでの左打ち
     私は右利きですが、ルールで「左で打て」と言われ、しぶしぶ打席に立ったときがありました。正直、打てるはずがないと思っていました。ところがその瞬間、ボールがゆっくり見え、バットの芯で捉えて、やったこともない“流し打ち”でレフトへ打球が飛んでいったのです。打撃の神様・川上哲治が「調子のいいとき、ボールが止まって見えた」と語ったという逸話がありますが、まさにあの感覚に近かった。不思議としか言いようがありません。
  • スピリチュアルな感覚
     さらに不思議な体験として、体が勝手に動くような、空気と一体化したような瞬間を味わったこともあります。理屈では説明できないけれど、確かに存在した体験です。

まとめ

武道や芸道に伝わる「偶然の必然」は、実は日常やスポーツの中にも顔を出します。
私の体験は些細な出来事かもしれませんが、あの瞬間は確かに「偶然の連鎖」が「必然」に見えました。

人生でも同じことがあるのではないでしょうか。努力しても結果が出ないときもあれば、思いがけない偶然が未来を開くこともある。そう考えると、不思議な体験もただの偶然ではなく、次につながる必然の一歩なのかもしれません。

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