出会い頭の事故のような“不良品”が生まれる瞬間

価値観
出会い頭の事故のような"不良品"が生まれる瞬間

製造業にいた頃、どうしても忘れられない感覚がある。
「不良品って、まるで出会い頭の事故みたいだな」と思ったことだ。


■ あえて作ろうとしても、作れない

不思議なことに、あえて同じ条件で不良を再現しようとしても、
これがなかなかできない。
現場の人なら一度は経験があるだろう。

「昨日は出たのに、今日は出ない」
「同じ材料、同じ温度、同じ設定なのに」
――なのに結果が違う。

まるでパチンコの一発台みたいなものだ。
当たるときは連発するのに、狙っても全然当たらない。
そんな偶然が、製造の世界には確かにある。


■ 不良の原因は“偶然”だけじゃない

もちろん、すべてが偶然で片づくわけではない。
材料のロット差、機械のわずかなブレ、作業者の体調、
温度や湿度、さらにはその日の空気感――
ひとつひとつが少しずつズレて、
気づかぬうちに「不良」という形で現れる。

まるで「誰が悪い」とも言えない出会い頭の事故だ。
信号も守って、ルールも守っていたのに、
タイミングがたまたま重なってしまった。
そんなイメージに近い。


■ 再現できない不良が教えてくれたこと

現場で一番厄介なのは、「再現しない不良」だ。
上司には「原因を突き止めろ」と言われる。
でも実際には、すべての条件を揃えても再現しない。
これはもう、“神のみぞ知る領域”だと思った。

正直、あの頃の私は、不良が出るたびに心がざわついた。
「なぜ出た?」よりも、「また出たのか…」と、自分でも訳が分からず立ち尽くしていた。
でも今になって思う。
あれは“失敗”ではなく、“現場が語りかけてきたサイン”だったんだ。
不良の裏には、いつも何かのメッセージが隠れている。
それに気づけたとき、ようやく自分も“ものづくりの入口”に立てた気がした。


■ 材料や機械にも、人の“気”が入る

不思議なもので、材料にも、機械にも、人の気持ちって入るような気がする。
丁寧に扱えば応えてくれるし、雑に扱えば、どこかで仕返しされる。
根拠は明確に示しにくいが、長く現場にいると、そう感じる瞬間がある。

もちろん、そんなことを言えば「しゃらくせい」と笑われるだろう。
でも、私は今でも信じている。
心をこめた製品は、やっぱりどこか“いい顔”をしている。


■ 人の感覚と機械の正直さ

機械化は大切だと思う。
人の感覚はたしかにすごい。
見て、さわって、感じてつくる――あの“職人の勘”には、
いまの精密機械でも真似できない領域がある。

けれど、みんながその感覚を持っているわけじゃない。
得手不得手もあるし、人を介すほど誤差が出てくる。
だからこそ、機械の正直さが必要になる。

機械は、条件が揃えば必ず応えてくれる。
正しく扱い、きちんとメンテしてやれば、
ちゃんと応えてくれる。
逆に、雑に扱えばすぐ機嫌を損ねる。
人も機械も、案外そこは似ているのかもしれない。


■ 偶然を減らす努力こそ、製造の本質

不良ゼロは理想だけれど、現実にはありえない。
大切なのは、偶然の幅を狭めること。
標準作業を徹底し、設備を点検し、
ひとつひとつの「小さなズレ」を潰していく。
それでも、たまに顔を出す不良がある。
そんなとき、私はもう「また出会っちゃったな」と苦笑いするようになった。


■ 結びに

不良品は、ただの“欠陥”じゃない。
そこには、現場の空気・人の手・機械の癖――
あらゆる「偶然の総合結果」が詰まっている。

あの頃の私は、不良の原因を追うことに疲れながらも、
心のどこかでこう思っていた。

「出会い頭の事故みたいな不良があるなら、
きっと“出会い頭の奇跡”もあるはずだ」と。


おまけ:あの「ブチッ」の音

「不良ゼロ」を掲げる工場は多い。だが、永遠に不良ゼロでいられる工場は存在しない。材料も人も機械も生き物だ。

そして、避けようのないのが天災だ。地震や停電、特に瞬間停電(瞬停)は、現場泣かせの代表格だった。加工中に一瞬でも電源が落ちれば、工程によっては製品が全滅する。あの「ブチッ」という一瞬の音で、一日の努力がパーになる――あの無力感は今でも忘れられない。

それでも人は、次の日にはまたラインを立ち上げ、同じ場所で、同じ製品をつくりはじめる。それが製造の強さでもあり、誇りでもある。

ひとつ思うことがある。品質とは「人質(じんしつ)」だと思う。ひとじちじゃない。ヒトの質――素直さ、誠実さ、正直さ。ものづくりの根っこは、いつの時代もそこにある。

あなたの現場では、どうだろうか。