MLB選手の刺青に違和感──ヤクザ映画で育った日本人の感覚と誇り

違和感

メジャーリーグの試合を見ていると、
腕や首にびっしりと刺青を入れた選手が多いことに驚く。
それを見て、どうしても“違和感”を覚える。
もちろん、非難したいわけではない。
ただ、体に何かを刻むという行為に、日本人としての感覚が追いつかないのだ。


■ アメリカでは「普通」でも、日本では「特別」

アメリカでは、タトゥーはファッションであり、信念の表現でもある。
MLBの選手も、「家族」「神」「ルーツ」を刻んだり、
人生の節目を記念して入れることが多いという。
文化の中に自然に溶け込んでいて、誰も違和感を持たない。

一方で日本では、
ヤクザ映画で見たように、汗を流して痛みに耐えながら肌に彫り込む――。
その行為は「覚悟」や「非日常」を象徴してきた。
そこに「おしゃれ」や「個性」を感じる余地はほとんどなかった。

MLBの選手たちが堂々と刺青を見せている姿を見ると、
思わずこう感じてしまう。

「へえ、あんなのが“カッコいい”と思っているんだ〜、ってね」

馬鹿にしているつもりはない。
ただ、日本で育った私たちの「カッコよさ」とは別の軸で、
まったく違う文化が息づいているのだ。


■ スポーツ界の「沈黙」とスポンサーの事情

MLBやNBA、欧州サッカーではタトゥーは当たり前。
スポンサーも気にしない。
むしろ「個性」「強さ」「覚悟」を示すポジティブな要素になる。

しかし、日本では状況がまったく違う。

野球、サッカー、テニス、マラソン――
どの競技でも、日本代表クラスの選手がタトゥーを露出することはほぼない。

たとえば、

  • 大谷翔平選手:もちろんタトゥーなし
  • 錦織圭選手:なし
  • 本田圭佑選手:噂はあったがフェイクで本人が否定
  • ラグビー日本代表:外国出身選手のタトゥーは
     国際試合で「日本のファンへの配慮」としてテーピングやスリーブで隠すことが義務化

このように日本では、
「タトゥーは見えてはいけないもの」
という“空気”が、長く常識として根付いている。

スポンサー企業も「清潔・誠実・安心」を重視するため、
選手側も企業側も、この話題にはほとんど触れない。
結果として、沈黙という形で保たれているのだ。


■ 日本人が抱く違和感は、「誇り」でもある

日本では昔から、
「身体は親からの授かりもの」
「むやみに傷つけない」
という価値観がある。

外側を飾るより、
内側の強さ・誠実さ・控えめさを美徳とする文化がある。

だからこそ、
外に向けた強い主張としてタトゥーを入れる海外の選手に、
どうしても「距離」を感じてしまう。

だがその違和感こそ、
日本人が大切にしてきた価値観から生まれたものであって、
決して恥じる必要はないと思う。


■ 文化の違いはあっていい

アメリカの選手にとって、タトゥーは誇りだ。
しかし、日本人がそれを「やらない」という選択にも、
同じだけの意味と誇りがある。

控えめで、飾らず、
背中で語るような生き方――
それもまた、立派な「美」だからだ。


■ 結び

タトゥーを入れるかどうかは人それぞれ自由だ。
しかし私は願う。
これからも日本人は、
「やらない」という選択に静かな誇りを持ち続けてほしい。

見せないことにも意味がある――
それを知っている民族の美学なのだから。

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