考え方の土台はどこから?

価値観

人の考え方の土台は、どこから始まるのだろう。
生まれてから学ぶものなのか、それとももっと前から影響を受けているのか。

そんなことを考えるようになったのは、
自分の過去を振り返るようになってからだ。


子ども時代という「土台」

正直に言えば、楽な子ども時代ではなかった。

貧しい家。
風呂なしアパート。
共同炊事、共同便所、ぼっとんトイレ。

周りを見ても、尊敬できる大人はほとんどいなかった。
マイナス思考、あきらめ、ため息。

子どもながらに、どこか息苦しさを感じていた。

そのせいか、私は優柔不断で、支離滅裂で、
精神的にもどこかフラフラしていた。

「こう生きなければならない」
そんな変な真面目さだけが心の中にあった。

小学生のころ、
“正しい生き方”のような漫画に妙に惹かれていたのを覚えている。
今思えば、ずいぶん変な子どもだったと思う。


何も分かっていなかった時代

中学も、高校も、
はっきりした自分などなかった。

何も考えていなかったのかもしれないし、
考える力がなかったのかもしれない。

ただ流されるように過ごしていた。

でも一つだけ、
今でも誇れることがある。

金のない家だった。
高校に行くには、公立に受かるしかなかった。

通信簿はほとんど「2」。
バカでアホだった私は、それでも勉強した。

そして――合格した。

大した話ではない。
でも、自分にとっては「初めて自分でつかんだ結果」だった。


大人になってから気づいたこと

社会に出てから、ずっと不思議に思っていた。

「どうしてこの人は、こんな考え方ができるんだろう」

迷わない人。
本質を外さない人。
安心できる人。

そういう人の背中を見て、
私は少しずつ考え方を学んでいった気がする。

親だけではない。
周囲の人、本、経験。

いろんなものから、少しずつ。

そして気づいた。

考え方の土台は、
ある日突然できるものではない。

環境、出会い、失敗、迷い。
その全部が、じわじわと染み込んで形になる。


自分はアホだったのか

振り返れば、
私は決して器用な人間ではなかった。

むしろ、かなりアホだったと思う。

でも、アホなりに、
真面目に生きようとはしていた。

迷いながらでも、
考えることだけはやめなかった。

それが、今の自分の土台になっている気がする。


まとめ

考え方は、生まれつき決まるものでも、
誰かに教えられて完成するものでもない。

環境。
出会い。
経験。

そして、
迷いながら考え続けた時間。

その積み重ねが、
いつの間にか「自分の考え方」になっている。

振り返ると、
遠回りばかりだった気もする。

それでも――
あの時間がなければ、
今の自分はいなかったのだと思う。

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