■ 清潔なのに「清潔感がない」不思議
清潔感って、よく聞くけど、いったい何なのだろう。
風呂にも入っているし、服も洗ってある。
それでも「なんか汚く見える」と言われることがある。
清潔であることと、清潔感があることは、実は別の話だ。
清潔感というのは、衛生状態ではなく印象の清潔さ。
つまり、「相手からどう見えるか」という感覚に近い。
■ 清潔感は「気づかいの見える清潔さ」
髪の毛の整え方、髭や鼻毛の始末、爪の長さ、服のシワ。
そういう細かい部分にまで手が届いているかどうか。
清潔感とは、そうした気づかいの積み重ねがにじみ出るものだと思う。
洗濯してある服でも、ヨレヨレで形が崩れていたら「清潔感がない」と見られる。
清潔と清潔感は違う。
“汚くない”ではなく、“きちんとして見える”努力が印象をつくる。
■ 手と足元、そして財布に生活の姿勢が出る
手は、その人の生活の品格が出る場所だ。
爪が整っていて、手の動きが丁寧な人は、それだけで信頼感がある。
逆に、手荒れを放置したり、爪が伸び放題だったりすると、
どこか“自分を放っている”印象を与える。
そして靴。
「人は足元を見られる」という言葉があるが、
実際、靴はその人の“生き方”が出る場所だと思う。
昔、飲み屋のおねーさんに言われたことがある。
「男はね、靴と財布を見ればわかるのよ」と。
たしかに、靴が汚れている人はどこか雑に見える。
靴が磨かれていて、形もきれいなら「この人、ちゃんとしてるな」と思う。
安物でもピカピカに手入れしてあれば、「生活が丁寧だな」と感じる。
財布も同じで、中がごちゃごちゃしているより、
お金やカードが整理されているだけで印象が違う。
靴と財布は、“自分の扱い方”が出る場所。
つまり、清潔感とは「身だしなみ」だけでなく、
自分と物をどう扱うかという生活の姿勢なんだと思う。
■ 清潔感はセンス。気づかい+自分らしさ
人のために気を遣うのは当たり前。
でも、やりすぎるとどこか息苦しく見える。
清潔感は、人のためだけではなく、自分の感性とセンスが出る部分だ。
自然に整っていて、押しつけがましくない。
そのちょうどいい距離感が、人を気持ちよくさせる。
■ 結局、「人は見かけによる」
やっぱり最後はここに行きつく。
「人は見かけによらない」ではなく、「人は見かけによる」。
ただし、その“見かけ”とは、顔立ちや服の値段ではない。
どれだけ自分を丁寧に扱っているか――その姿勢のこと。
清潔感とは、生き方のにじみ出た“見かけ”なのだと思う。
■ じゃあお前はどうなんだ、と言われると
自信はない。
だが、妻や昔の同僚、ある会合で女子から
「若ーい」と言われたことがある。
まあ、それなりに清潔感は保てている……のかもしれない。
結局のところ、清潔感とは年齢ではなく、
“気を抜かない心”のことなんだと思う。
正義感の話も、見ていただければ幸いです。



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