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「思いっきり振れ」「全力で行け」――
スポーツでも仕事でも、よく聞く言葉だ。
けれど、元阪神タイガースの鳥谷敬はこう語っている。
「どうやって“思いっきり”を使うのか、教えてくれた人はいなかった」
この言葉に、私は強く引っかかった。
振れと言われる。頑張れとも言われる。
だが「どうやるか」は、ほとんど教わらない。
力を入れろと言われても、どこに、どれだけ、どう使うのかは分からないまま――
そんな経験は、多くの人にあるのではないだろうか。
言葉では伝わらない世界
鳥谷は、引退後こうも話している。
「感覚を言葉にするのは難しい」
体で覚えたものを、頭で説明することはできない。
音楽の響きを、弾けない人に説明するようなものだ。
この「言葉にならない世界」を象徴する話がある。
長嶋茂雄が、アメリカで不調に苦しむ松井秀喜に電話をかけ、
受話器越しに素振りの音を聞いてフォームを直したという話だ。
理屈ではなく、感覚。
言葉ではなく、響き。
通じる人には通じる世界がある。
教わらなかったから、考える
振り返ると、私も「頑張り方」や「力の抜き方」を教わった記憶はあまりない。
だが逆に、教わらなかったからこそ、考える癖がついたのかもしれない。
どうすればいいのか。
どこに力を使うのか。
何が足りないのか。
分からないまま、考え続ける。
その繰り返しの中で、自分なりの「思いっきり」が少しずつ見えてくる。
思いっきりとは何か
“思いっきり”とは、力任せではない。
準備、感覚、積み重ね――その先に出てくるものだ。
言葉では説明できない。
だが、感じ取ろうとする中で、なぜか「分かる瞬間」がある。
分からないものは、分からない。
それでも考え続ける。
その曖昧な境界にこそ、人が人を理解する入口があるのだと思う。

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