脇役が主役を超えるとき——気遣いの力は音を変える

違和感

清塚が語った、シンタくんの「引き立てる演奏」

NHKの「クラシックTV」で、スキマスイッチと清塚信也さんが共演した回を見た。
そこで清塚さんが、シンタくん(常田真太郎さん)の演奏について語っていた。

同じ鍵盤に手が重なる場面でも、
自分のフレーズを邪魔せず、むしろ生かすように音をつないでくれる。
前に出るのではなく、相手が一番よく響く位置を探して弾いている、と。

そこには技術以上に、
「この曲を良くしたい」「相手を立てたい」という
こころの配慮が感じられた。

リンゴ・スターの「歌を生かすドラム」

その話を聞いたとき、ふとリンゴ・スターの言葉を思い出した。

ボーカルを引き立てるドラム。
邪魔をしないドラム。
歌いやすいドラムを叩く。

主役はあくまで歌。
ドラマーはそれを支える存在でいい。
出しゃばらず、でも消えず、
全体が一番気持ちよく流れる場所に音を置く。

「俺が俺が」では、音は濁る

みんなが「俺が俺が」で音を出したら、
バンドはきっとぐちゃぐちゃになる。

音量もフレーズも主張もぶつかり合って、
どこにも居場所がなくなる。

家で、車で、スマホで、パソコンで、
どんなに小さなスピーカーで音楽を聴いても、
本当の意味での情緒や間は、正直わからないかもしれない。
それでも、ノリだけは感じられる。
体が自然に揺れる、あの「気持ちよさ」。

それはたぶん、
誰かが誰かを引き立てようとしているときに生まれる
「グルーブ」なのだと思う。

主役を気持ちよくするという裏方の喜び

主役を気持ちよくさせたい。
歌を乗せたい。
フレーズを生かしたい。
邪魔をしたくない。

そんな気持ちが重なったとき、
音の中に流れが生まれ、
主役がその流れに乗ってくる。

不思議なことに、
その気持ちよさは主役だけのものではない。
支えている側にも、ちゃんと返ってくる。

主役を気持ちよくすることが、
いつのまにか自分の喜びになっている。

セッションミュージシャンという領域

こういうことが本当にできるのは、
セッションミュージシャンの領域なのかもしれない。

その場の空気を読み、
相手の呼吸を感じ、
自分の思考や感覚をそのまま音に変える。

自分の思考が腕を通って音になる。
人格そのものが演奏に表れる世界だ。

音楽だけではない、人生のグルーブ

この構造は、音楽だけの話ではない。

仕事でも、家庭でも、
ほんの少し場に手を入れられたとき、
空気がふっと和らぐ瞬間がある。
誰かが安心して前に出られる位置を、
そっと整えるような役回りだ。

俺の役回り

俺はずっと、こういう役回りだった。
場を読んで、相手を立てて、
一歩引く場所にいることが多かった。

でも、ずっと脇役というわけでもない。
時々、主役に回ることもある。

前に立って、引っ張って、
全体の視線を受け止める側に立つこともある。
ただ、そのたびに思う。
やっぱり自分が一番しっくりくるのは、
主役が一番よく輝く場所を整えているときだ、と。

主役をやれないから脇役なのではない。
主役も知っているから、
脇役に徹することの意味がわかる。

脇役が主役を超えるとき

脇役が主役を超えるとき、
それは目立ったからではなく、
場を一番よく鳴らしたからだ。

清塚さんのピアノも、
シンタくんの鍵盤も、
リンゴのドラムも、
きっと同じ場所を目指している。

自分が光る場所ではなく、
全体が一番美しく響く場所。

一歩引くという選択が、
実は一番深く、強い表現なのかもしれない。

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