長男という言葉に振り回される人生――家業を継ぐ・継がないの境目で

違和感

――家業を継ぐ・継がないの境目で 

NHKの番組で、
作家の桜木紫乃と俳優の佐野史郎が対談しているのを見た。

佐野史郎は、
江戸時代から続く医師の家に生まれた長男で、
本来なら家業を継ぐ立場にいた人だ。

その番組の中で、桜木の本の一節として、

「長男なんていう言葉に一生振り回されて生きてるやつは
気の毒なことだなあ」

という文章が紹介され、
それを聞いた佐野が、

「なんで俺に言ってんだと思った」

と話していた。

その言葉を聞いたとき、
少し胸の奥がざわっとした。

長男。
家業。
代々続く家。
あとを継ぐという前提。

言葉にすると簡単だけれど、
その中にどれだけの期待や、
諦めや、
負い目や、
言い出せなかった本音が詰まっているのかは、
外からはわからない。

知人の割烹旅館では、
長男がそのまま後を継いだと聞いた。

偉いなと思う。
同時に、大変だろうなとも思う。
そして、かわいそうだなんて思うのは、
完全に余計なお世話だとも分かっている。

でも、
「長男」「後継」「家業」という言葉が背負わせる重さは、
外から見ているだけでも、
簡単なものじゃないと想像してしまう。

佐野史郎が
「なんで俺に言ってんだと思った」と感じたのも、
長男として、
継ぐはずだった側の人間として、
その言葉の裏にある逃げ場のなさや、
引き受けるしかなかった重さに、
思い当たるところがあったからなのだろう。

長男という言葉。
家業を継ぐという言葉。

短くて分かりやすいけれど、
その中身は、
外から貼れる評価や正しさだけで
片づくものじゃない。

外からは見えない。
外からは測れない。
そして、たぶん、
外から軽々しく語っていい話でもない。

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