ダルビッシュ有の「野球ぐらいで」という言葉に、なぜ引っかかったのか

違和感

ダルビッシュ有の
「人生の方が大事ですから。野球ぐらいで落ち込む必要はない」
という言葉に、なぜか引っかかった。

野球を軽く見ている言葉には聞こえなかった。
むしろ、力を抜けと言われた気がした。

振り返ると、
なんでも一生懸命やればいいと思ってきた。
仕事だから全力。
好きで始めたことだから全力。
それで前に進めた部分もあるし、
実際、それで飯も食ってきた。

ただ、
いつの間にか力の加減がわからなくなっていた気もする。
頑張ること自体が目的になって、
何のためにやっているのか、
少し見えなくなっていた。

誰のためなのか。
自分のためなのか。
その区別も、曖昧になっていた。

野球は、言い方は悪いが、
金を稼ぐための手段でしかない。
たかが野球だろう、という話だ。

でも、だからこそ難しい。

たかが野球なのに、
人はそこに人生を重ねてしまう。
勝てば嬉しくて、
負ければ落ち込む。

だから、「されど野球」になる。

目の前の結果に一喜一憂してしまうのは、
それだけ真剣に向き合っている証拠なのだと思う。

でも、だからこそ、
少しだけ視点を引くことも必要なのかもしれない。

野球ぐらいで、悩むな。
落ち込むな。

人生の方が大切だ。

その言葉は、
野球を軽く見ているのではなく、
もっと大きなものを見ろ、という意味だったのかもしれない。

そう思ったとき、
少しだけ、力が抜けた気がした。

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