あるテレビ番組で、対談を見た。
ある作家と、ある俳優の対談だった。その俳優は、代々続く家業を継ぐ立場の家に生まれた長男で、本来なら家を継ぐはずだった人だ。
その番組の中で、作家の本の一節が紹介された。
「長男なんていう言葉に一生振り回されて生きてるやつは気の毒なことだなあ」
それを聞いた俳優が、笑いながら言った。
「なんで俺に言ってんだと思った」
その言葉を聞いたとき、少し胸の奥がざわっとした。
俺は次男だ。だが、長男と同じ扱いを受けてきた
俺は二人兄弟の次男だ。
兄はただ婿に行ってしまった。
その瞬間から、家を継ぐのは俺になった。
書類上は次男だが、扱いは長男だった。家のこと、親のこと、近所付き合いのこと――全部、俺の頭に乗ってきた。
うちは父親のいない家だった。実質、俺が世帯主だった。家長と言ってもいい。次男だが、長男だった。
このまちから出たかった、のかもしれない
正直に言うと、若い頃は、このまちから出たかったかもしれない。
兄が出ていったように、俺もどこか別の場所で生きる選択肢があったかもしれない。
だが、出られなかった。
親に縛られた感は、確かにあった。「もう一緒に暮らす前提」で話が進んでいた。誰かが決めたわけじゃない。誰も「お前が継げ」とはっきり言ったわけじゃない。
ただ、空気がそうなっていた。
兄が婿に出て、父親もいない。残った男は、俺一人だった。
「お前が、家を見るしかないだろう」――そういう空気だった。
あらがおうとしたかどうか、もう自分でも覚えていない。たぶん、あらがうほどの力はなかった。あるいは、あらがっても無駄だと、どこかで知っていた。
「長男」と呼ばれなくても、長男の重さを背負う人間はいる
あの俳優の「なんで俺に言ってんだと思った」が、刺さったのは、たぶんそのせいだ。
長男という言葉に、人は振り回される。だが、書類上は長男じゃなくても、実質的に長男の役割を背負わされる人間もいる。
俺がそうだった。
「次男なんだから自由にやれ」――そんなことを言ってくれた人は、誰もいなかった。
知人の割烹旅館では、長男がそのまま家業を継いだと聞いた。
偉いなと思う。同時に、大変だろうなとも思う。「かわいそうだ」なんて言うのは、完全に余計なお世話だと分かっている。
ただ、外から見ていても、その重さが想像できる。
そして今、俺は息子たちに同じことを言いそうになる
ここからが本題だ。
俺には息子が二人いる。
時々、頭の中で、こんな問いが浮かぶ。
「この家、どうすんだ」
「墓、どうすんだ」
息子たちに聞きたい。聞きたくない。聞こうとして、飲み込む。
俺自身、次男なのに家を継いだ。それで何が良かったかというと、正直、よく分からない。
縛られた感もあった。出たかったかも、と思うこともあった。
だから、息子たちには言いたい。
「お前ら、好きにしろ」
家も、墓も、まちも、親のことも、好きにしていい。背負わなくていい。継がなくていい。出ていっていい。
そう言いたい。
言ったかどうか、もう曖昧だ
ところが、実際に息子たちに「好きにしろ」と言ったかどうか――もう、自分でも曖昧だ。
言った気もする。言わなかった気もする。
匂わせた、くらいかもしれない。はっきりとは言っていないかもしれない。
不思議なものだ。あれだけ「縛られたくなかった」と思っていた俺が、自分の息子たちに「自由にしろ」と言い切れていない。
たぶん、心のどこかで、こう思っているのかもしれない。
「誰かが継いでくれたら、この家もこのまちも、消えずに済む」
そんなふうに。
背負ってきた人間ほど、次に背負わせたくない、はずなのに
背負ってきた人間ほど、次の世代には背負わせたくない――そう思うはずなのに、人間はそう簡単じゃない。
自分が背負ってきたものを、次の世代に渡したくなる。あるいは、渡してしまいたくなる。
それを意識して飲み込むのが、たぶん、親の仕事の一つなのだろう。
「長男という言葉に振り回されて生きてるやつは気の毒だ」
そう言われて、ざわっとしたあの感覚は、二つあった気がする。
ひとつは、俺自身が次男なのに長男の重さを背負わされてきた、その記憶。
もうひとつは、自分の息子たちに同じものを背負わせかけている、という、自覚への動揺。
外から軽々しく語っていい話じゃない。だが、内側にいる人間は、語らなくていいわけでもない。
息子たちに、もう一度、はっきりと言うべきなのかもしれない。
「お前ら、好きにしろ」と。
そして、それでも家もまちも残ってほしい、と密かに願ってしまう自分を、ただ受け入れる。
たぶん、それが、次男なのに家を継いだ俺が、今、できることだ。

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