ガキの頃の名前で呼ぶんじゃねー

違和感

椅子が10脚ほど並んだ部屋だった。

町内会の役員の引き継ぎ、新旧合わせて10人ほどの初顔合わせだ。そこに50年ぶりに見る顔があった。10個上の男で、子供の頃から知っている。高校生の進路を指導するような仕事をしているらしい。

挨拶もそこそこに、その男が俺の下の名前を呼び捨てにした。

「あ〜、はい」

言い返さなかった。それ以来、6人の役員として月に2回は顔を合わせている。

1年後、男は「○○君」と呼んできた。改めたつもりなのか。だが「お前なんかに君付けで呼ばれたくない」という気持ちになった。呼び方が変わっても、態度はでかいままだ。50年前の上下関係を、今も持ち込んでくる。俺はそういう人間を心の中で「ヒエラルくん」と呼んでいる。

今はそばに行かない、話しかけない。

葬儀で、きれいな呼び方を見た

俺がさん付けを意識するようになったのは、親戚のおじさんが亡くなったときだ。

葬儀でいとこたちが集まった。受付や、坊主の送り迎えを誰かに頼まなければならない。俺は運転手を頼まれて、喪主と親戚代表と一緒に寺へ挨拶に行った。本堂でお参りをして、お茶をいただいた。戻ってからも、まだ手が足りない場面があった。

その場で、喪主がいとこたちに自然にこう言っていた。苗字が同じいとこには下の名前でさん付け、苗字が違えば苗字でさん付けで「○○さん、これ頼めるか」と。

ガキの頃はみんな同じ苗字だから、下の名前の呼び捨てが当たり前だった。でもあの場で、同い年の親戚同士がさん付けで話している姿は、妙にきれいに見えた。

尊敬じゃない。敬意だ。

俺もそれからは、上でも下でも、さん付けにしている。同じ町内会の年下の連中にも、苗字のさん付けで声をかけるようにした。最初は妙な顔をされたかもしれないが、続けているうちに、そっちが普通になった。年下だって、もうガキじゃないんだから。

もしかしたら俺がカチンときたのは、少し浅はかだったかもしれない。上下関係の厳しい世界で何十年も生きてきたら、そうなるのかもな、と今は思わなくもない。

呼び方ひとつで、その人間がわかる

高校の一つ上の先輩に電話を入れたのは、近所の工場のシャッターのことだった。20年ほど使われていない工場で、最近シャッターが破れ始めた。風が強い地域だ。飛ばされて誰かを傷つけるんじゃないかと気になった。工場の取締役に先輩がいる。工場長は知らない人だが、先輩なら話が早い。

電話口で先輩は、俺を苗字のさん付けで呼んだ。俺が知っていた頃は主任だった。今は取締役だが、呼び方は主任の頃から変わっていない。

照れ臭くて「昔みたいに呼び捨てでいいですよ」と言ってしまった。それでも先輩は崩さなかった。事情を伝えると、すぐ動いてくれた。

電話を切った後、思った。揉まれた人間は違う、と。偉くなっても「今の相手」を見ている。

名前の呼び方に、その人の時間が止まっている場所が出る。

お前は今でもあの頃の俺と話しているのか。今の俺とは、まだ会えていないんじゃねーか。