ダルビッシュ有の
「人生の方が大事ですから。野球ぐらいで落ち込む必要はない」
という言葉に、なぜか引っかかった。
野球を軽く見ている言葉には聞こえなかった。
むしろ、力を抜けと言われた気がした。
力を抜けと言われた気がした
振り返ると、
なんでも一生懸命やればいいと思ってきた。
仕事だから全力。
好きで始めたことだから全力。
それで前に進めた部分もあるし、
実際、それで飯も食ってきた。
ただ、
いつの間にか力の加減がわからなくなっていた気もする。
頑張ること自体が目的になって、
何のためにやっているのか、
少し見えなくなっていた。
誰のためなのか。
自分のためなのか。
その区別も、曖昧になっていた。
たかが野球——でも、俺は仕事の奴隷だった
たかが野球じゃないか。
野球で命を盗られるわけじゃない。
飯は食わせてもらってる。
でも、野球の奴隷じゃない。
野球は、体が動くまでの手段だ。
人生は、死ぬまで続く。
人生の方が、長い。
奴隷という言葉なら、俺にも覚えがある。
朝7時に家を出て、帰りは21時。
家にいるのは10時間で、そのうち8時間は寝ていた。
家には、寝に帰っていたようなものだ。
昼勤も夜勤も、そのパターンだった。
4日働いて4日休む、交替勤務の現場。
それを、40年やった。
文句は言った。さんざん言った。
でも、やった。
それでも「されど野球」になってしまう
でも、だからこそ難しい。
たかが野球なのに、
人はそこに人生を重ねてしまう。
勝てば嬉しくて、
負ければ落ち込む。
だから、「されど野球」になる。
目の前の結果に一喜一憂してしまうのは、
それだけ真剣に向き合っている証拠なのだと思う。
でも、だからこそ、
少しだけ視点を引くことも必要なのかもしれない。
野球ぐらいで、悩むな。
落ち込むな。
人生の方が大切だ。
その言葉は、
野球を軽く見ているのではなく、
もっと大きなものを見ろ、という意味だったのかもしれない。
「人生の方が大事」は、精神論じゃない
仕事はとっくに終わった。
でも、俺の人生はまだ続いている。飯も食えている。
「人生の方が大事」というのは、精神論じゃない。
ただの事実だ。俺がその証人だ。
あの頃の自分に「仕事ぐらいで」と言ってやる気はない。
言っても、たぶん聞かなかった。
ただ、文句を言いながら40年やった自分を、
いまは少しだけ褒めてやりたい。

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