言葉を飲み込むとは何か。40年やった俺の答えは「飲み込んでいない」だった

違和感

走り抜けたのか。しがみついたのか。流されたのか。守ったのか。笑ってごまかしたのか。

あんたの何十年は、どの動詞だ。

AIに言われた。

性格診断のたぐいの質問ごっこで遊んでいたら、お前は会社の理不尽なこと、嫌なことを「飲み込んできたのか」と言われた。

飲み込んだ? なんだそれは。飲み込むってなんだ?

間違ってはいない。現場で40年、言いたいことの半分は言わずに済ませてきた。それは事実だ。

でも「飲み込んだ」じゃない。

なんて嫌な響きの言葉なんだろうと考えた。

飲み込むというのは、腹に入れることだ。腹に入ったものは消化されて、身になるか、消えてなくなる。「話を飲み込む」と言えば、理解して受け入れたということになる。

俺は受け入れていない。

黙って従いはした。言えば評価が下がる。レッテルを貼られる。目をつけられる。だから言わなかった。それだけだ。心の中では「おかしいだろう」と言い続けていた。納得は一度もしていない。

納得していないものは、消化しない。

我慢にも二つあると思っている。

子供のころ、泣き虫をやめると自分で決めて、泣くのを我慢した。あれは自分で決めた我慢だ。身になった。

現場で言い返すのを我慢したのは違う。あれは諦めだ。「言っても通じない」の諦め。自分で決めた我慢は消化される。諦めの我慢は、消化されずに残る。

証拠がある。

会社を定年退職して、ブログを書き始めたら、260本を超えて書いていた。本当に飲み込んで消化していたなら、何十年も前の言葉がいまさら出てくるはずがない。

消えてなかったんだ。全部、喉元に残っていた。

だから俺は「飲み込んだ」とは書かない。

押し殺した。耐えた。ぐっと堪えた。こっちが本当だ。

事実は同じ40年なのに、動詞ひとつで嘘になったり本当になったりする。

言葉というのはそういうもんだと思う。中身が同じでも、選んだ一言で、伝わったり、死んだりする。たった一言で、人の心が動く。

60を過ぎて、自分の40年をどの動詞で呼ぶかにこだわっている。くだらないと笑うやつもいるだろう。

それだけのことだが。