25歳のとき、「言力」という言葉を初めて聞いた。
ある訓練の場だった。「言葉には力がある。だが嘘を言った瞬間、その力は消える」という話だ。
当時は半分しかわからなかった。
崖から落ちそうな人間の言葉
崖から落ちそうで、両手で岩につかまっている人間が「助けてくれ」と叫ぶ。
その言葉は届く。必ず届く。
なぜか。嘘がつけないからだ。飾れないからだ。命がかかっているとき、人間は魂の底からしか言葉を出せない。
言力とはそういうものだと、訓練を受けてからずっと思っている。しゃべりの上手さじゃない。その言葉が本物かどうかだ。
売れる瞬間の正体
若い頃、ガソリンスタンドで働いた。タイヤを売った。エンジンオイルも、ワイパーブレードも売った。
売れる瞬間がある。そのとき俺は周りが見えていない。怖いものなしの感覚、研ぎ澄まされた感覚、どうしてもやってやるんだという諦めない感覚。せっぱ詰まっているのに、不思議と冷静だ。
「売ろう」と思って行くと、100%にはならない。コントロールしようとした瞬間に、何かが抜ける。
これはテクニックじゃない。だからテクニックで補えない。崖から落ちそうな人間は「うまく助けてもらおう」とは考えない。ただ叫ぶだけだ。あれと同じだと思う。気持ちが移り込む、というのか。本気でいいと思ったことを、本気で言うしかない。
飲み込んだ言葉には、力がない
現場に40年いた。
言えなかった言葉がある。「それは違う」「なぜそうする」「おかしくないか」——全部飲み込んだ。言っても通じない。評価が下がる。目をつけられる。だから黙った。
飲み込んだ言葉には、力がない。
口の中で形を変えて、どこかに消えていく。「言ってやった」と思えないから、頭の中に残り続ける。それが40年分溜まった。
それは言力の真逆だった。
本気でない言葉は、なんとなくわかる。全部が全部じゃない。騙されないようにと注意しているから気づくのかもしれない。でも聞いているうちに、どこか引っかかる感覚がある。言力がない言葉は軽い。どんなに上手くても、どこかふわっとしてくる。
口のうまい上司が何人もいた。でも数字が変わる。言ったことがすり替わる。そのうち、聞かなくていい人間だと判断した。40年でその見分けだけは上手くなった。
ブログで初めて言える
ブログを書くのは、飲み込んだ言葉の出口を作るためだ——とは言わない。そこまで格好よくない。ただ書きたいから書いている。
でも書いていると気づく。飲み込まなくていい場所でしか、言力は出てこない。嘘を混ぜた瞬間、文章から力が抜ける。「体験した」ことと「調べた」ことを分けて書く。本気でいいと思ったことしか書かない。めんどくさくても、ここだけは曲げない。
届くかもしれない
崖から落ちそうな人間の「助けてくれ」は届く。
40年分の「言えなかった言葉」も、ブログに書けば届くかもしれない。
できる日とできない日がある。精神状態がどうなっているのか、自分でもわからない。
それだけのことだが、やめられない。
