退職するまで、俺は「働く場所」と「生活する場所」は別だと思っていた。
会社は仕事をするところ、家は休むところ。それぞれ役割が違う、と当たり前のように思っていた。
だが、退職してしばらくして、ふと気づいた。
会社って、ただ働く場所じゃなかった。
世間につながる場所だったんだ。
交代勤務の合間に、出てはいた
言い訳に聞こえるかもしれないが、四十年あまりの勤務生活、俺はずっと交代勤務だった。四日仕事して二日休む、それを昼勤と夜勤で繰り返してきた。
休みの日に町内会の集まりがあれば、顔を出していた。全然タッチしていなかったわけじゃない。ただ、仕事と重なる日は、妻に頼んでいた。
つまり、町内のことは、半分は妻の頭の中に入っていて、半分しか自分の頭にない。
半分しか、自分の町じゃなかった
退職して時間ができて、町内会の役員を引き受けた。最初に思ったのは、こうだ。
「俺、この町を半分しか知らない」
妻が把握していた半分を、今ようやく自分でも知ろうとしている。
「60年もここに住んでて、知らない人ばかりなんて、あり得ないでしょ」
妻に叱られた。返す言葉に詰まる。仕事の都合で出られなかった、と言えば言える。だが、それだけが理由でもなかった気もする。妻に任せれば回ったから、俺は知ろうとしなかった。
退職後――誰とも喋らない日が普通になる
退職して、毎日が休みになった。
時間はあり余るほどある。だが、不思議なことに、世間が広がるどころか、逆に狭まった気がする。
仕事を介して関わっていた「同じ顔」たちと、ぱったり会わなくなる。家にいると、誰とも喋らない日が普通になる。スーパーに買い物に行っても、レジで「ありがとうございます」と言われるだけだ。
会社にいた頃は、嫌でも毎日同じ顔と顔を合わせていた。それは「世間とつながっていた」ということだったんだな、と退職して初めて分かった。
成り手がいない、じゃ俺がやる
町内会の役員は、誰もやりたがらない。年配は「もう歳だから」、若い世代は「仕事が忙しいから」、間に挟まれた俺たちが順番に回していく。
成り手がいない、じゃ俺がやる。
そんな単純な理由で引き受けた。深い思い入れがあったわけじゃない。
ただ、引き受けてみて、ようやく見えてきたものがある。
長老から、若者から――反面教師まで含めて
役員になると、町内のいろんな人と関わるようになる。
長く住んでいる年配の方は、地域の歴史や昔の出来事をよく知っている。「この道は昔こうだった」「あそこの家はこういう経緯で〜」と、本やネットには絶対出てこない情報が、口から出てくる。
若い世代は若い世代で、こちらが知らない感覚を持っている。SNSの使い方、ご近所付き合いの距離感、子育ての現状。聞いていると「ああ、そういうふうに考えるのか」と気づかされる。
もちろん、合わない人もいる。考え方がまったく違う人、自分の意見だけが正しいと思っている人、何度説明しても通じない人。
そういう人と会うのも、それはそれで勉強になる。「俺はこうはなりたくないな」という反面教師として、自分の振る舞いを見直すきっかけになる。
役に立つ情報、役に立たない情報、半々くらいかもしれない。だが、ゼロじゃない。人に会うと、何かしら学べる。これは確かだ。
町内会長の匙加減――政治の縮小版
役員になって思うのは、町内会というのは、規模を小さくした政治だ、ということだ。
会長が誰になるかで、動きが全然違ってくる。段取りが悪い、優先順位がおかしい、説明が雑、決め方が独断的――現役時代の会社で見てきたのと、同じことが繰り返されている。
「俺だったら、こうするけどな」と思うことが、何度もある。
そういうとき、時々チクリと助言する。聞いてくれることもあるし、流されることもある。
そして、ふと思う。総理大臣も、結局はこれの大型版なんじゃないか、と。匙加減ひとつで国の動きが変わる。「俺だったら」と思っても、現場にいない人間には届かない。
町内会で起きていることは、国でも起きている。たぶん、そういうものだ。
退職後こそ、自分から動かないと
退職してから分かったことがある。
会社にいた頃は、世間が向こうから来てくれた。同じ顔、同じ声、同じ仕事。それでも世間だった。
退職すると、誰も向こうから来てくれない。自分から動かないと、世間そのものが消える。
町内会の役員も、ただ「成り手がいない」で引き受けただけだった。だが、そこで人と会って、聞いて、考えて、ときどき言う。それで、世間が少し戻ってきた気がする。
知識はネットでいくらでも増やせる。
だが、知恵は、今もやっぱり人の中にある。
会って、話して、感じる。
それしか、退職後の世間との付き合い方を、俺は知らない。

